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写真で見る東京(128)・・・青春の思い出の町

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【国立市】
同級生のXさんのお通夜に行くために、みんなと国立駅前で待ち合わせをした。
私は少し早目に行って、6年間を通った学生時代の懐かしの国立の町を散策した。
「国立」という地名は「国分寺と立川の間に出来た」ので名付けられた。

後の西武グループを作った堤康次郎が「学園都市」として開発した町なので、一橋大学に代表されるように学校が多い。その影響で他の町とは違い、映画館とパチンコ屋が無く落ち着いた町である。私の学生時代からかなり時が経っているので駅は新しくなっているが、町の雰囲気はあまり変っていない。

 JR「国立駅」

【国立駅の旧駅舎】
私の通っていた頃の駅舎であるが、現在は国立駅に隣接して復元されて公共施設になっている。資料によると『赤い三角屋根に白い壁が特徴的な「旧国立駅舎」が建設されたのは、今からおよそ100年前。箱根土地株式会社と東京商科大学が共同で進めていた・・・』

「国立大学町開発」のシンボルとして建てられた街のランドマークでした。大正15(1926)年に開業した後、2006年のJR中央線高架化工事に伴い解体され、多くの市民から惜しまれつつ、80年にわたる駅舎としての役目を終えました。・・・』

『2020年、国立市のシンボル、赤い三角屋根の「旧国立駅舎」がJR国立駅南口に帰ってきました。2018年に再築工事が始まり、約2年の歳月を経て、1926年の創建当時と同じ姿で再築され、公共施設として生まれ変わりました』とある。

 国立駅前に復元された「旧国立駅」

【大学通り】
駅前に出ると中央にロータリーがあり、正面の広い道路が「大学通り」である。
道路の両側には緑地帯があり、当初から車道と歩道を分けている。
その緑地帯に植えられた桜が、私の学生時代と同じく春には見事に満開になる。

駅から大学通りに入るすぐ右側に「ブランコ通り」があり、懐かしのロージナ茶房(1954年創業)がある。大学通りを進むと、右側にケーキ屋「白十字」、本屋「増田書店」が今も頑張っている。私にとっては懐かしい店ばかりだ。一橋大学から先は、もうかなり先の谷保駅まで商店は無い。

 広い「大学通り」

【旭通り】
駅を背にして斜め左(東方向)の道路が「旭通り」である。
旭通りは国分寺に通じていて、途中に「多摩蘭坂」という名の坂がある。
この変な名前の由来だが、『ここを通って通学する・・・』

『一橋大学の学生が急坂で「たまらん、たまらん」と言って上ったという説と、荷車を引く人が「こんな急な坂、たまらん」と言ったという説があるが、どちらにしても「たまらん」なのである。

この道路の右手に亡くなった同級生の作家「嵐山光三郎」が住んでいて、その一帯を「プレスタウン」と言った。これは新聞社の社員用に開発された地区で、新聞を「プレス」と言うからである。
また忌野清志郎が「多摩蘭坂」というタイトルの歌を作曲して、この坂が全国的に有名になった。

 「旭通り」


【富士見通り】
駅を背にして斜め右(西方向)の道路が「富士見通り」である。
この通りをしばらく進むと、同級生で我々同期の幹事を務める建築資材を商う「S社」がある。また国立音楽大学付属の中学・高校もある。この道路から富士山が見えるのである。

この通りで2024年に騒動が持ち上がり、前例のないことが起きた。
『富士見通り沿いで7月に引き渡し予定だった10階建ての分譲マンションが急きょ、解体されることになった。「関東の富士見百景」にも選ばれた富士山の眺望が、マンション建設で影響を受けるとして、・・・』

『周辺住民から反対の声が上がっていた。事業主の積水ハウスによると、完成直前のマンション解体は異例といい、解体理由について「景観などについて検討が十分ではなかった」とコメントした』。

「富士見通り」

(おまけの話)
【一橋大学1】
今回は時間の関係で、私の卒業した学校までは行けなかったが、その手前の一橋大学の構内を散策した。同級生で東京大学に進学した者は多いが、お隣さんなのに一橋大学に進んだ者は少なかった。そんな中で同級生のOさんは一橋大学の卒業生で、私が会社を売却する時に顧問になってもらい助けてくれた。

私が中学生の時は図工の時間の写生の時に、裏の土手を越えて垣根の隙間から大学構内に入った思い出がある。建物は殆ど変っていないので、気持ちだけは昔に戻り懐かしさが沸きあがる。

「一橋大学」の校門

「一橋大学2」
懐かしい国立の町を歩き、すぐに昔の自分に戻った。
そして『もっと勉強しておけば良かった』、『あの時、ああすれば・・』などを思い、反省するがもう遅い。歩きながら『これでいいのだ!』と思い直し、冷たい風の中を待ち合わせ時間に合わせて駅に戻った。

昔、流行った歌に森田公一とトップギャランの「青春時代」があった。
その歌詞は「青春時代の夢なんて 後からほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は 道に迷っているばかり」である。
久し振りに昔懐かしい国立の町を歩き、青春時代を思い出し感傷に耽っている私だった。

  「兼松講堂」

【ラーメン屋(丸信)
大学道りを突き当りまで行くと、南武線の「谷保駅」になる。
この駅の近くに「丸信」というラーメン屋があり、ここは国立駅前の「丸信」からの「のれん分け」の店である。

かなり前だがある時、谷保駅まで「丸信」という名の店を見付けたので入ってみたら、国立駅前で集団就職で長野県から出て来た中卒男女が結婚して店を出していたのであった。先方も私のことを憶えていて、それ以来、女房とちょくちょく行っていた。

最初の頃が「ラーメン」、「餃子」、「野菜炒め」、「チャーハン」などを注文していたが、年と共にそんなに食べられなくなってしまった。店主夫婦も年を取り、長男が主力で働くようになった。その後、私達は勝どきへ越してしまったので行かなくなったが、あの夫婦はまだ元気だろうか?

 修行先の駅前のラーメン屋「丸信」は廃業していた。

【ロージナ茶房 & 白十字 & 増田書店】
大学通りを少し行った右手の路地を入ると、左手に古めかしいカフェ「ロージナ茶房」がある。私の学生時代から全く変っていない。
だから65年以上もなにも変っていないのは凄いと思う。

その先は昔は突き当りだったが、現在は「ブランコ通り」というお洒落な路地になっていた。また大学通りに戻り先に進むと、右側に「白十字」というケーキ屋さんがある。
久し振りに前を通ったら建物は建て替えられていて、喫茶部は無くなり売り場だけで小さくなっていた。

その先の増田書店は頑張っていたが、2階はチェーン・レストランになっていた。
卒業後65年も経てば「変らないでいてくれ」と言う方が無理であるが、でも少し残念だ。

 懐かしの「ロージナ茶房」

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 6年間の想い出が蘇る今日のブログに感動しました。一つ一つが青春であったのです。もっと勉強しておけばよかったのに!という反省を傍に置きながら、それは青春そのもであったのです。漠然とした夢を抱きながら多くの仲間と過ごしたあの時に出来ることならもう一度帰りたい。同級生の通夜に向かう車の中でフト思う日の出来事でした。

  • 同級生の通夜に行く前に、皆と青春を過ごした町を歩く。 さぞ感慨深いものが胸にこみあげてきたことでしょう。 なつかしさと悔恨と甘酸っぱい思い出の数々。 そして時の経過を思い知り、また自身の老いをも、いやがうえにも感じざるを得ない心境。 しんみりとしたとても心に残る記事でした。

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