今年のスケジュールカレンダーを開き、振り返ってみた。
1月、弟の最期をスペインで見届けることから始まった2025年。マドリードにいた時間が、もうずいぶん昔のことのように思える。
3月、20年近くも続けさせていただいた事業が終了した。これについては一度きちんと思い起こして、記録として書き留めたい。
4月、長女に初孫が誕生(出現)。その後の日常のなかで孫の成長をつぶさに観察し、人類の進化の過程を実感中。
5月、シーカヤックを新調。少しサイズダウンして軽くなった。
6月、カミさんと高千穂、そして長州藩のフィールドワークへ行く。日本がいっそう好きになった。
7月、テーブルシャッフルボードをリペアして復活させる。そのあとのランキングサイト作成に悪戦苦闘中だが、来年からのメインテーマになる予定だ。
そして、その後は怒涛のように過ぎて、あっという間に今年も終わる。
時間というものは、長く感じたり短く感じたりする。だが、果たして本当にニュートラルな「時間の流れ」などあるのだろうか、と考えてしまう。基準はいつも自分の感覚に属している。
鴨長明が『方丈記』で説く無常観——
「行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし。」
仏教で言う「諸行無常」が真であるなら、時間だけが絶対だと言い切ることもできない。
そう考えると、やはり時間というものは「今」しか存在していないのかもしれない。「今」はとらえられないから「今」は「無」である。いや、「空」なのかな?
よくわからないが、この「無いはずの今」の連なりを意識すると、不思議な感覚になる。
2026年は、日々の暮らしのなかで、もっとこの感覚を研ぎ澄ませていくことになろう。
皆様も、どうぞ良いお年をお迎えください。

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