オーストラリアにいる娘から、今日は職場の近くでBushfireが発生したので避難するとの報告があった。オーストラリアではしょっちゅう山火事が起きているようだが、オフィス街に迫るという話にはびっくりした。その山火事の話を聞いて、俺は小学生の頃に自分で起こした火事を思い出した。

あれは小学校6年生の頃の話。俺は幼稚園からずっと剣道をするための道場に通っていた。多分週に1-2回あったと思う。しかしある時から人を竹刀で叩くことがなんか嫌になって、行きたくなくなり、道場にいくふりをしてはよくサボって友達と他で遊んでいた。
その冬の日曜日、いつものように剣道をサボろうと思って剣道にいくふりをしながら小学校2年の弟を連れ出した。もちろん、弟には親に内緒にすることを約束させた。
この当時、友人の間では戦争ごっこが流行っていた。空き地を戦場とし、敵味方に別れて陣地を作り、相手陣地にロケット花火を打ち合ったり、爆竹やねずみ花火投げ込み合うというもので、今考えるとかなり危ない遊びをしていたと思う。ロケット花火などは当たると結構痛いのだ。
この日は遊ぶ相手が弟しかいなかったので、爆竹で遊ぼうと思い、黒いおもちゃの金庫に隠してあった大量の爆竹を持ち出し、近くの空き地に向かった。その空き地は結構な広さで多分3-400平米くらいあったと思う。そして弟と、爆竹を持って向こうに投げるまで、どれだけ長く手に持っていられるかという遊びをしていた。
ひとつずつ、爆竹に火をつけてはギリギリまで持って投げる。耳の近くで爆発させてしまうとしばらく何も聞こえなくなってしまう。それを弟とキャアキャア言いながらやっていたのだが、ふいに爆竹に火をつけるはずのマッチが地面に落ち、それが枯れ草に引火した。冬の空き地は一面枯れ草で覆われていて、やばいと思って足で一生懸命消そうとしたが追いつかず、火は次第にみるみる燃え広がっていたのだ。
その成り行きを見てただ突っ立って大泣きしている弟に、「泣いてないで手伝え!」と怒鳴りながら、俺は必死に火を消そうとした。空き地の両端には塀があるが、そこからは住宅が並んでいる。火はどんどん燃え広がっていく。このままでは家が燃えてしまう。どうしよう・・・もうダメだ・・・と思ったとき、大きなサイレンが近づいてくるのが聞こえた。消防車が2台、空き地にきてくれたのだ。そこから消防士たちが消火作業をしてくれ、火は塀間際で鎮火した。危機一髪であった。
消防車がきてからは付近は付近の住民が野次馬で集まって大騒ぎになったが、だんだんと落ち着くと人がいなくなっていった。しばらくして俺と弟は消防車の後部に座らされ、消防士に事情聴取を受けた。黒いおもちゃの金庫にぎっしりとはいった爆竹を見て、消防士がびっくりしていたのを覚えている。二人とも泣きじゃくり、謝っただけだったが、すぐに解放された。
そして弟を連れて家に帰った。日曜なので親父がいて帰るのが怖かったが、彼は事情を既に知っていたようだった。親父の前で俺は泣きながら報告し、謝った。殴られるかと思ったが、意外にも親父はあまり叱ってこなかった。俺は助かったと思った。それからまもなく、俺は剣道を晴れてやめることができた。
その後大人になってからも、地面に落ちたマッチの火がどんどん広がっていく恐怖の夢をたまに見たものだが、もう見なくなってしばらくになる。ただ、こうして思い出してしまうとまた見るかもしれないな・・・
でも昔の苦い思い出としてこうして書き留めておこうと思う。
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