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不思議の国の「ねぶた祭り」

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佐野元春のコンサートが青森だったので、どうせならと合間に少しだけ観光した。
車じゃなかったので移動が面倒だったし、時間もそれほどなかったので近場限定となった。
そのひとつが駅前にある青森市文化観光交流施設「ねぶたの家 ワ・ラッセ」である。

ねぶた祭りといえば東北三大祭りのひとつ、300万人以上が訪れる大イベント。
一度も見に行ったことがないが、ここには祭で使われた山車が沢山保管されていて、その歴史と雰囲気を味わうことができる。

「ねぶた」祭りの発祥には諸説ある。
七夕祭りや眠り流しの行事が変化したものというのが一般的な起源とされているが、俺にはどうもその説がしっくりこない。なぜなら青森には三内丸山遺跡という縄文時代の定説を覆す遺跡があったり、なにしろイエス・キリストの墓さえあると言われており、つまりこの土地は太古の昔はいろいろな意味できっともっと「いろいろなことがあったはず」と期待するからなのだ。

ということで、ねぶた祭りについていろいろと調べていくうちに一番しっくりくる説を見つけた。
それは、「ねぶた」とは「ねに蓋をする」という意味だと唱える学説だ。その根拠は縄文時代から栄えていたこの当時の日本の中心地にヘブライ人たちが渡来し、その痕跡が残ったという推論に基づく。

とんでも説に聞こえるかもしれないが、日ユ同祖説というのはずっと昔からあり、これは日本にヘブライ文化と酷似する風習やことばがあるという見方に基づいていてその例は枚挙に遑がない。
例えば、このねぶた祭りの掛け声は、この館の名前の由来である「ラッセラー」あるいは「ヤーヤードゥ」であるが、これは「動かせ」「エホバを讃えよ」とのヘブライ語で解釈できるという。津軽弁が転じた言葉とされている説が定説だが、いずれにせよこいつらは大和言葉らしからぬ言葉であることは否めない。

たとえば北海道のニシン漁でのかけ声「ヤーレンソーラン」だって日本語では意味不明なのにヘブライ語では「喜び歌う」という意味になるし、「ワッショイ」は「神が来た」、「ヨイショ」は「神が助けてくださる」、「ハッケヨイ、ノコッタ」も「撃て、やっつけろ、打ち破れ」となる。なんならあの「君が代」さえもヘブライ語で解釈できるという話もあるくらいで、もしかしたら当時の人たちからの伝承でヘブライ語を歌や囃し言葉や風習として後世に残ったのではないか?

まあ学者の間では、この辺の話はこじつけだと言われているのだが、最近は縄文時代には既に稲作も海上交易も定住もあったとわかってきたように、きっとこれらの話ももっと明確な根拠が示されていく可能性はある。

そもそもヘブライ人たちが国を失って東に移動し、一部の人たちが大陸を渡って縄文時代後期に日本に行き着いたということは十分ありえる話。海を渡ってきた渡来人たちがいろいろな技術を日本に持ち込んだという話も残されているではないか。つまりその人たちが弥生時代を作っていった。そしてその痕跡が風習や言葉に残されていると考えるのも自然な考えである。
そうやってこのねぶた祭りを見ていくと、確かにあの巨大な人形灯籠のモデルはみな鼻が高くて堀が深く、とても日本人には見えない。「ねに蓋をする」というのは、つまり当時の縄文人の太陽信仰に対して蓋をするという意味であり、その線で考えればねぶた祭りというのは大和民族と蝦夷、つまり西から来た弥生文化と縄文文化との宗教争いの祭りと思えてもくる。そして実際にユダヤ教と神社神道には、神社や鳥居、祇園祭や相撲などなど、多くの共通点と見えるものがあるのも事実なのである。

とまあ、しかしタイムマシンもないのだから、誰も史実を完全に証明することはできまい。でもだからこそ史実を探る上では、そりゃロマンがある説を信じたいし、それでいいと俺は思う。UFOの説も同じだ。

ということで、カミさんには次回は青森の戸来(へらい・ヘブライ?)という土地に残るキリストの墓を中心に、東北の謎に迫るフィールドワークをしに行こうと誘っているところである。

いやぁ・・・まだまだ謎と夢が残るこの不思議の国日本に生まれて、本当によかったス!!!

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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