午後7時にステージがスタート。MOTOが出てきて演奏が始まる。その立ち振る舞いや歌唱はとても70歳になろうというオヤジには見えない。会場はいきなり盛り上がる。階下の人たちは99%が立ち上がって手を振り回している。俺の横の女性も全身を動かしてノリノリ。後ろを見回すと後ろの席もみんな立ち上がっている。わぉ・・・。みんな本物のファンばかりだ。
次々に演奏されていく楽曲は、昔の曲ばかりではなく、今一緒に活動しているコヨーテバンドとともに作り上げてきた曲も多かったが、会場は熱気に溢れていた。

だが、そんな会場の中で、その雰囲気に馴染めない自分がいた。多分その場にはたった一人だけだったかも。
というのは、楽曲こそは懐かしい楽曲が演奏されるものの、目の前で歌っている彼の姿は俺のイメージのMOTOではなかったからである。実際に歳をとってしまっているのは否めない。その一方で、それを感じさせないパフォーマンスに、かえって無理してがんばっている感、そしてなんか悲哀さえ感じていたからだ。
彼は実は自分が歳をとっていくことに必死に抗っているのではないか。魂からロックンローラーであり反逆児なのであるから。
しかしそんな思いも、ステージ後半になってから変化してきた。それは曲と曲の合間のトークからだった。昔と何も変わっていないのだ。あの気取ったカッコつけの話し方に彼の本質を再認識した。普通のオヤジがあんなふうに英単語と一緒に混ぜて喋ったら、絶対に周りで馬鹿にされるか冷ややかに見られるカッコつけたキザな話しぶりである。矢沢永吉もそうだったが、多分普段からあんな感じで話をするのだろう。ただそこに変わらぬ彼をみつけたのだ。彼は多分、ずっと昔からそして今もありのままの姿を生きているだけなのだ。
彼の素顔の話を死んだ弟から聞いたことがある。彼はミュージシャンだった。その彼が高校時代に友人とギターを持って、ある午後に山手線に乗っていたら、向かいの席に佐野元春がひとりで座ってきたのでびっくりしたらしい。そこで弟と友人は「おい、歌おうぜ」と、おもむろに「ハローサンシャイン・・リトルサンシャイン・・・」と彼のマイナーなバラードをギターを出してポロンポロンと歌い出した。するとニヤけて聴いていた彼は、次の駅での下り際に「ふっ。がんばれよ。キッズ。」とキザな挨拶をして行ったという話を聴いたことがある。そう、まさにそれが佐野元春なのである。
そしてその変わらぬ佐野元春は確かにそこにいた。歳を取っても中身は何も変わっていないことに確かに気付かされた。彼の魂も歳なんてとっていない。永遠の夢をみる、そして反抗する青年なのであり、それが彼の存在なのだ。
🎵つまらない大人にはなりたくない🎵と彼はずっと歌ってきた。
そして見事にキッズそのままで大人になり、十分存在感のある魅力的な大人になっている。
そうして彼の熱いステージは最後にはあの名曲サムデイへと移り、会場みんなで歌って最高潮に盛り上がった。そしてその中には大声で歌っていた俺もいた。あの頃を思い出しながら少し涙ぐんでいた。

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