【認知症の入口の友】
大学時代の友人のOさんにショートメールを送信したが、なかなか返信が来なかった。
しばらくして届いたショートメール(まま)には『骨折していたので、昨日退院した所です。私は手が震えるので、自治医科大学で検査した結果、認知症の入口との事でした。30年世話になっている先生なので、療養計画に従い生活しています。今の所、健康です』とあった。
彼は以前に脳梗塞も患っていて、話す言葉が分かり難い。「認知症入口」とは穏やかではないので、電話をしてみた。私の友人では最近になり中高の同級生、マンションの友人が認知症になっているので、Oさんのことも心配になった。
Oさんは15年前に息子に死なれ、3年前に奥さんに死なれ、いまは1人暮らしで週2回の介護を受けている。返信の「今の所、健康です」からはほど遠い。
もしも認知症が進む場合を考えて、今からの対策をアドバイスして長電話を終った。

【文化功労者】
10月18日(土)の日本経済新聞を読んでいたら、「社会面」に文化勲章の授章者が出ていた。その横の小さな記事を何気なく見たら、「文化功労者」のところに垣添忠生の名前が見えた。彼は国立がん研究センター名誉総長で、中学・高校時代の私の同級生である。
私と違い勉強が出来る男で、東京大学に進んだ。だから話はするが、仲間ではなかった。
記事では功労者の業績として「泌尿器科領域のガン治療を前進させ、緩和ケアの普及にも貢献」とあった。彼自身も50代で大腸がん、60代で腎臓がんを経験、妻はわずか4ミリで見付かった小細胞ガンで17年前に亡くなった。
そして医師、患者、遺族としてガンと向き合った半生を踏まえて、1000キロの自然歩道に挑み「みちのく潮風トレイル」という本を出版した。

【日本橋べったら市】
毎年10月19日・20日に、宝田恵比寿神社に近い大伝馬町で「べったら市」が開かれるので様子を見に行った。私は「べったら」は好きな方だ。でも好きかどうかはメーカーによる。
「べったら漬け」とは何かを調べたら、『江戸時代から続く東京の名産品である大根の漬物である。塩で下漬けした大根を、砂糖や米麹、塩などで漬け込んだもので、米と米麹による独特の甘みが特徴。名前の由来は「漬物の表面に付いている甘酒の麹がべたべたしているから』のようだ。
会場の日本橋本町はかなりの人出で、テント張りの仮店舗が細長い路地に200メートルくらい並んでいた。肝心の「べったら屋」はその内の7軒だけで、あとは屋台の食べ物屋だった。折角だから思い「べったら漬け」を買ったのだが、帰りの地下鉄で臭くて参った。

【神田古本市】
ネットで「東京・イベント・10月」を検索すると、色々なイベントが出て来る。
10月24日(金)に、「神田古本市」があったので出掛けて行った。
地下鉄三田線の「神保町駅」で降りると、その辺りが古本屋街である。
駅を出たら天気予報が外れ、あいにく小雨が降っている。
靖国通りの歩道にワゴンを出して、何軒もの店が古本を並べて売っている。
人も多く出ていて、本が好きな人がまだこんなにいると何故か安心した。でも本が濡れないようにビニールで覆っていて本が見えないので、残念ながらこの日の商売はダメだろう。

【はちまき】
古本市を見た後に昼飯にしようと思い、1つ裏の通り「すずらん通り」に行ってみた。
食べたいものが無いのが困る。そこで思い出したが、通りの出口に近い場所に天ぷら屋「はちまき」がある。店の前には3人ほどの客が待っていた。私も並んだが、すぐに案内された。
この店は明治15年創業で、江戸川乱歩などの著名人の贔屓にした店として有名だ。
名物の「天丼」を注文した。出て来た天丼は天ぷらを立てて、タワー状態だ。食べてみたが、あまり美味しくない。最近の私は、なにを食べても美味しいと感じなくなった。
今は「美味しいなー」と思うのは、『伊達産の米「ゆめぴりか」で、明太子を食べる時』くらいになっている。

(おまけの話)【終り方】
「むしゃなび」のブロガーに「kayaker」がいるが、私は彼のファンで必ず読んでいる。
10月20日のブログのタイトルで「無駄な1日を考える」があり、彼の記述が「その通りだった」と思って読んだ。
「kayakerのブログ」・・・無駄な1日を考える(その1) | kayaker | むしゃなび blog
『子供の頃から私達が刷り込まれてきた価値観、それは「できるだけ無駄なく、効率的に人生を進める」ことだ。その根拠は「人生は短い」、「時間は有限だ」という至極真っ当な考え方にある』。
私もその考えで、真面目に人生を送って来た。
そしていまは後期高齢者をとっくに過ぎ、日本人男性の平均寿命も越えてしまった。
ここまで来ると考え方も変わる。「人生は短い」は間違いだ。「人生は長い」である。
(写真の仏像は私が15年くらい前に、趣味で彫ったものです)

「人生は短い」は「人生わずか50年」と言っていた昔の話で、100歳まで生きる人が珍しくなくなった現在では50歳は「まだ半分」である。私は22歳で大学を卒業し、39年間を真面目に働いて61歳で引退した。そして22年が過ぎた。
学んでいた時間と引退後の時間が同じになった。これ以上、生きて行くと『なんのためなんだろう?』と思っている。もう世の中の為になることは出来ないし、女房初め周りに迷惑を掛けることしか出来ない。
最近も親しくしていた友人に先立たれた。認知症になった友人も増えた。
認知症の困るところは「自分で認知症と認識していない」ことである。
だから私自身も、このことになると自信が無いのである。
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そこで「終り方」であるが、何事も「始めがあれば、必ず終りがある」ことは確かだ。
人生で「どんな終り方が理想か?」と言えば、身近なところに私の母がいた。
彼女はある朝、ベッドの横で亡くなっていた。夜中にトイレに行って、戻る時に心臓発作が起きたのである。このような最後を迎えると、家族には良い思い出しか残っていない。
認知症になり長生きして家族に迷惑をかけると、過去の良い思い出は全て消え去ってしまうのである。最近のニュースでよく見るが「老々介護」、「介護離職」、「介護殺人」など、長寿が新しい悲惨な問題を作り出している。
長寿は必ずしも目出度いことではなくなった時代に、「どう終るか」を考えなければならなくなった。引退後に現役時より難しい問題に直面するとは、私は思ってもいなかった。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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親父は心筋梗塞で死んだ。私は狭心症という爆弾を抱えている。死に様つぃて「ぽっくり死」が理想であると言っていたが、最近のニュースで恐ろしい事件が発生した。高齢者運転免許の更新に合格して三年間運転をすることが出来ることを喜んでいたが、高齢者が運転中に心筋梗塞が原因で意識を失い、車が暴走し大事故を起こしてしまった。これは最悪な事故である。友人たちから免許証の返納を勧められたが色々と理由を付けて断り、今回の更新となったのだが、この死亡事故のニュースは私にとっては大きなショックである。心臓麻痺は突然やって来るから防ぎ様がないのが一番怖い!
「どう終るか」を考えても、考えた通りにいくとは限らないので、それも死の問題を更に難しくしています。霊的、精神的、肉体的、経済的、人間関係的、に、等々。
【終り方】人生、いずれにせよ戻ることも先を急ぐこともできないから、結局今できることを淡々とやりながら生きる、一種のあきらめが肝心だと思います。笑
【終り方】人生、いずれにせよ戻ることも先を急ぐこともできないから、結局今できることを淡々とやりながら生きる、一種のあきらめが肝心だと思います。笑