無駄シリーズが続く。
人間関係の無駄についてだ。
いつからだろう、人間関係にも「片付け」が必要だと感じるようになったのは。
かつて親父は年賀状を200枚も手書きし、机に山と積まれた葉書を見ては満足げだった。
それが社会人としての礼儀であり、信用の証だと信じて疑わなかった。
俺も若い頃はそれを真似し、100枚単位で年賀状を書いた。
だが、そのうち毎年の年末が近づくたびに心が重くなっていった。
年賀状を書く相手の顔を思い浮かべながら、
「本当にこの人に伝えたい言葉があるだろうか」と自問した。
会う機会のある人には直接言えばいい。
遠く離れた友人や恩師にしても、毎年の近況を知らせ合うことにどれほどの意味があるのか。
気づけば、俺は他人の暮らしにも、自分の近況を伝えることにも興味を失っていた。
それならば、すべてやめてみよう――。
そうして30年前、脱サラを機に年賀状を断ち切った。
最初のうちは届いたものに返していたが、それもやがて途絶えた。
驚くことに、何も困らなかった。むしろ、心が軽くなった。
年賀状をやめたことで分かったのは、
「切れてしまう縁は、もともとその程度のものだった」ということだ。
人間関係は努力で維持するものではなく、自然に保たれるものこそが本物だ。
金や立場や打算で結ばれた縁は、状況が変われば消えていく。
だが、心でつながった縁は、年賀状がなくても、住所が変わっても、どこかで再びつながる。
結婚して以来、二十数回の引っ越しを経て、仕事も人も環境も入れ替わった。
それでも残ったのは、無理せず、心地よく付き合える人たちだ。
不要な人間関係を片付けることで、心の空間が生まれた。
縁もモノと同じ。要らないものは静かに手放し、自然に残るものを大切にすればいい。
そうして今、ようやく「本当のつながり」というものの形が見えてきた気がする。

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