ブログ閉鎖中の話題(2015年10月21日)
親しくしていた学生時代の友人のHくんが、今年の2月に福島県で交通事故に巻き込まれて亡くなってしまい8ヶ月が経過した。私は彼とは親しくしていたので、その時の虚脱感は相当なもので、今でも時々、彼を思い出しては女房と話題にしている。

10月になり、やっと彼のお墓が完成し、そして納骨も終った。そこで、10月16日に同級生達とHくんのお墓参りに行くことにした。お墓の場所は町田市にあるので、Kくんが事前に場所を確認をしてくれた。そしてお墓参りを兼ねて、「Hくんのお墓参りと多摩丘陵散策」という企画を立ててくれた。

集合場所は京王線の永山駅で、ウォーキング仲間の5人が集合した。
今回のウォーキングのコースは「永山駅」~「お墓参り」~「昼食・うなぎ屋」~「多摩センター・郷土資料館」~「多摩センター駅」という約10キロの行程である。
特に昼食の「うなぎ屋」がなかなか美味しいそうで、期待している。

当日は急に天候が悪化して、朝から小雨模様の日となってしまった。勝どき駅から大江戸線に乗り、新宿駅から京王線に乗り換えた。車内は空いていたが、向かいに若い女性がいた。その内に女性はハンドバッグから大きな手鏡を取り出した。

何をするのか見ていたら、なんと化粧を始めた。周りのことなど全く気にしていない。
まるで自分の部屋に自分だけいるような気になり、乗客なんか目に入らないようだ。
15分くらい化粧をしていたが、顔を上げたら化粧前とあまり変らなかったので笑えた。
こういう行動をする女性には、(偏見かもしれないが)あまり美人はいない。

京王永山駅に集合した仲間の5人で歩き出す。雨は本格的な降りになって来た。
Hくんの墓は駅からかなり遠く、多摩丘陵を切り拓いて作られた場所にある。
だから、歩いて行くには坂道を登らなければならず、雨の中の1時間は辛かった。

やっと到着した霊園は、ものすごく広い。
彼の墓は上の方にあるので、エレベーターで3階まで昇る。
墓参りでエレベーターに乗ったのは、長い人生でも初めてだった。
真新しい墓の前で5人は手を合わせ、Hくんの冥福を祈ったのである。

(おまけの話)
Kくんの企画で、お墓参りの後は「うなぎ屋」である。
店に到着する頃にうなぎが焼き上がるようにとのKくんの我々への思いやりで、彼は霊園を出る時に店へ携帯電話で到着時間を知らせている。
雨の中のウォーキングはかなりキツイ。しかも店への道は殆どが上り坂である。
予定の時間では行けそうになく、途中でうなぎ屋に到着時間を2度も変更の連絡をする。

霊園から1時間も掛けて、やっと目当てのうなぎ屋へヨロヨロと到着する。
出て来たうな重は天然物のうなぎを使っているそうで、とても美味しかった。
うなぎ屋での話題はHくんのことから、我々のこの先の話題へ移る。
そうすると、どうしても話題はお墓となってしまう。

みんなそれぞれに守るべきお墓を持っているようだが、この先は果たして子孫が続けて守ってくれるかどうか分らない。「将来、無縁仏になってしまうより、橋本のロッカー方式の納骨堂も悪くないのかもしれない」という結論に達した。
食後は雨でもあるので、この先の企画は止めにして多摩プラザ駅近くで定番のお茶とケーキで一休みして解散となった。そこにHくんが居ないのが寂しかった。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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毎月22日は、妻の月命日である。今月の命日に妻の姉と妹が墓参りに在って来てくれた。当日も終日雨模様で、少し寒かったが長女も加わりお花と線香を手向けて無事にお参りを終えることができた。豊田には過ぎたものとして「イオン」と「うなぎの藤田」がある。お墓参りを済ませた後には必ず「うなぎの藤田」へ行くことになっている。予約の取れないうなぎ屋として有名なお店である。事前に予約をしておいたのだが、やはり店内は満席である。決して安くはないウナギであるが最上級を注文した。久しぶりに満足のゆく墓参りであった。食後「イオン」へ席を移動して、サンマルクカフェで女性3人のおしゃべりが延々と続いた。