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小さな話(45)

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【安過ぎる】
2年前くらいに買った「NIKE」のスニーカーの、底の糊が剥がれて口が開いてしまった。どうしたものかと考えたが「駄目でもともと」と思い、近くの「100均」で接着剤を買ってみた。使い捨ての強力瞬間接着剤が3本も入って、たったの100円とは驚きだ。

「本当に接着するかな?」と疑いながら試してみたら、しっかりと接着していた。
その時についでに小さな電池も買ったら、4本セットで100円だった。
この値段でアチコチに店を開き、高い家賃と人件費を払って利益を出せるのが不思議だった。


 「100均」の接着剤と「電池」


【粗大ゴミ】
女房が時々、家の中を整理しているので、その度に粗大ゴミが出る。
このマンションのありがたいところは、1階に大きなごみ処理施設と保管場所が設けられていることだ。各階には生ゴミや、紙類、金属、瓶などの収集場所があるので、いつでもそこへ出すことが出来る。

今回は風呂場で使っていた、プラスチックの椅子である。古くなったので、新しいものに替えた。ネットで料金を調べたら、200円だった。そのシールをコンシェルジュで買い求めて、1階のゴミ置き場に出した。

粗大ゴミ置き場は面白い。色々なものが捨てられている。まだまだ使えそうなものも沢山ある。


マンションのゴミ集積場の「ゴミ圧縮機」


【シャボン玉】
少し前に葛西臨海公園に行った時に、懐かしい光景に出会った。
公園の端の方で、父親と息子がシャボン玉で遊んでいた。
昔は石鹸を溶かし、麦わらのストローで吹いてシャボン玉を作った覚えがある。

今回は一度に沢山のシャボン玉が出来る道具を父親が使い、子供がそれを追い掛けていた。シャボン玉は童謡のように、飛んで消えて行った。久し振りに「ほんわか」した気分になった。

『シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
 シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
 風風吹くな シャボン玉 飛ばそ』 


「シャボン玉」


【秋の空】
まだまだ暑い日が続いているが、空を見上げたら「秋の空」のようだった。
真夏の空と違いギラギラしていないで、薄雲が漂い「抜けるような青空」を感じた。
秋は確実に近付いて来ていることを感じる「空」だった。
空を見てふと思った。友人達に「残暑見舞いのメールを出そうかな」・・・と。

マンションの友人達は私より年長なので、後期高齢者をとっくに過ぎてしまい元気が無い。学生時代の友人達の訃報も聞かないので、みんな元気なんだろうと思う。
「元気過ぎるジジイ」も困りものだが、適当に元気でいて欲しい。
やはり「残暑見舞い」のメールを出そう。


「秋めいて来た空」


(おまけの話)【無料の銀座の写真展巡り】
*「富士フォトギャラリー銀座」
このギャラリーは主に、アマチュアの写真家が自費で出展しているギャラリーである。
その日は「三菱重工写真部」と「二人展」が開催されていたが、「三菱重工写真部」は出展者もいなかった。

奥の「二人展」に行くと、出展者らしき男から記帳をするように促された。
山の日に合わせたのか山の写真ばかりで、勝手に見て廻ろうとしたら、その男が『説明させて下さい』と言って近付いて来た。

断ることも大人げないので受け入れたら、熱心に写真の説明を始めた。
その時、女性の見学者が来て彼がそちらに行ったのを幸いに、私は部屋を出たのである。


「三菱重工・写真部」


「SONY  Imaging Gallery」
銀座4丁目の角にある日産ショールームの上の6階に、「SONY  Imaging Gallery」がある。この日は西野 嘉憲氏の「島に根を張る石垣島上由 台湾人墾殖的村荘」という作品展だった。この作品展の写真は全てモノクロで、戦前に台湾から石垣島に移住し定住した人々の生活を激写している。

解説によると『彼らは台湾から持ち込んだパイナップルの栽培と産業化を礎に、新天地での成功を夢見ます。しかし在来島民との軋轢による騒乱や、日本の敗戦後、不当に外国人として扱われるなど、数多くの困難が待ち受けていました。・・・』

『1950年代に入ると台湾人入植者はパイン産業を発展させ、その技術を島民に還元することにより、島の社会に溶け込んでいきました』とある。
ウロウロすることも色々な知識を得られるので、徘徊も無駄ではない。


 作品名「島に根を張る」


「キャノンギャラリー銀座」
作品は長谷川尚子氏の「ゆらぎのあわいに」であり、「あわい」というのは「物と物」や「人と人」の「間」ということらしい。 

解説では『舞台や映画を通して「空間も時間も存在しない」という理論に出会い、絶対的なものとして認識してきた自分の脳が信じられなくなった。未熟な自分の脳では理解し切れない。静止画でも動画でもなく、各写真の関係性を主題とした映像手法「写真映像」により、人間の目で見ることのできない世界に思いを馳せ、静かに見つめました』とあるが、やはり今回も私には難解で分からなかった。 

会場では大きな画面にプロジェクターで、1輪のチューリップの花が映し出されている。それが時間の経過と共に、段々と萎れて行く様を、ある時はボカし、ある時は重ねて映している。帰り際に作者がいたので、『素晴らしい作品です』と言ったら喜ばれた。
「一日一善」である。     


 「ゆらぎのあわいに」(キャノンギャラリー銀座 

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

アクセス総数
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コメント(2件)

  • 新しい管理者によるブログの始まりは少しドキドキしました。無事に開くことが出来て、再び「心の伊達市民 第一号」さんの徘徊に付き合うことが出来そうですね。まだまだ暑い日が続くようですから年齢を考えながらゆっくりと都心の探訪を続けて下さい。

  • 二人展の男は自費出展とはいえ、鑑賞者のプライベートな時間に勝手に割り込んできて、まあ、礼儀知らずですね。
    ゆらぎのあわいに、ですが、チューリップの花が徐々に枯れていく様は、まさに時間を表現しているので、空間も時間も存在しない、という理論と矛盾しているように見受けられます。この手法では、1950年代後半か1960年代初期にアンディーウオーホールが作った映画、ニューヨークの景色を24時間かけて撮った映画で、すでに試みられているので、これといった新しさも感じられないのですが。
    いやはや、文句言いたい人になってしまいました。

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