ブログ閉鎖中の話題(2015年9月16日)
土曜、日曜は勤労者のための休日なので、引退オヤジの私はなるべく外に出ないようにしている。しかし2日間も家に篭っていると、体が鈍って来る。一戸建ての家に住んでいた時は、それでも庭に出るくらいはしたが、マンションとなるとドアの外にも出ない。
全くの引きこもりである。

やっと月曜日が来たので、三十三観音霊場巡りの続きに出た。
今回は中野方面を踏破することにした。
大江戸線で新宿に出て、そこから都バスで中野方面に向う。

この辺りは以前はよく車で通ったし、私の習っていた仏像彫刻教室にも近い。地図を頼りに適当なバス停で降りる。路地を進むと小学校があり、その裏に目指す宝福寺はあった。
寺は閑散としていて、本殿の扉は閉ざされていて、お参りをする人もいない。そそくさとお参りを済ませ、次の東円寺に向う。

地下鉄の車庫に沿って歩き、しばらく行くと新しい立派なお寺が目に入った。
しかし東円寺はそこではなくその横だったが、こちらも負けずに新しく立派だ。
どちらもお参りする人はいなかったが、なぜ寺にはそんなに金があるんだろう?
駐車場経営もしていないようだし、お寺付属のマンションも無いように見える。
宗教法人というのは、凡人の私には分からないことだらけである。

この寺から100メートルくらいのところに、あの有名な立正佼成会の本部がある。
話の種にと思い、コンクリート作りの巨大な本堂に入る。
巨大なホールのような本堂の正面に金ぴかの久遠本仏が見える。
知らぬ内にこの宗教に取り込まれてはいけないと思い、早々に本堂を出る。出る時に、立正佼成会の係員が恭しく私に礼をした。
私が本堂に入る時に帽子を取り礼をしたのを見ていて、私が信者に見えたのだろう。

この界隈は立正佼成会の関係の建物と駐車場だらけで、立正佼成会城下町のようである。
バスで新宿に戻りランチを食べて、次は目白の金乗院である。
伊勢丹デパートの横から池袋行きの都バスに乗り、学習院下で降りる。
ここら辺りは都電荒川線が道路と平行して走っている。
目指す金乗院はバス停から5分ほどで、ここは近くて助かった。

ここでは珍しく若者がお参りをしていた。
私が彼に声を掛けたが、黙って去って行った。なにか事情があるのかもしれない。
都会のお寺は敷地も狭く、世俗から離れた心を洗われるという雰囲気に欠ける。
多くの寺はコンクリート作りで、私の希望する「朽ち果てた」という情緒が無いのが寂しい。
汗びっしょりで帰ったが、今日の万歩計は9500歩を示していた。
ジジイは徘徊しないとボケると実感した1日だった。

(おまけの話)
宗教という話題は取り上げるのが難しい。
多くの日本人は無宗教に近く、葬式で僧侶、家の新築で神主、結婚式で牧師を呼んだりして、かなりいい加減である。おまけにクリスマスまで祝ってしまう。

しかし中には真面目に宗教を信じている人もいるので、宗教を茶化したりは出来ない。
世の中には新興宗教も多い。オウム真理教のような危険な宗教もある。
しかし今は老舗となった宗教、宗派も、昔は新興宗教だったはずだ。

新興宗教には思い出がある。
私の知り合いがある新興宗教の若い女性信者から折伏を受けた。
その時に彼は「私の希望を入れてくれれば、入信する」と、その女性に男女関係を迫った。
彼女は「入信すれば、それを叶える」と言った。
彼女の言い分は「入信すれば、そんな邪悪な希望はしなくなる」というものだったが、結局は平行線をたどり、そのままとなってしまった。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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- 1,516,450回
我が町豊田にも「立正佼成会豊田教会」がある。昔は安田財閥の別邸として広大な敷地を有し、小学校の同級生の女の子が住んでいた。数回であるが招かれて行ったことがある。理由は判らないが小学時代に転居し、その後立正佼成会に売却された。母屋はそのまま残っているようだが残念である。新興宗教の勢力拡大とともに旧財閥の衰退が始まった影響がこんなところにも見えてくる。
おまけの話
その安田財閥のお嬢様と10年ぶりに再会したのが浪人時代の予備校の教室であった。相変わらずの楚々としたご令嬢風であったのが懐かしくも嬉しい思い出となっている。その後の彼女の行く末は不明であるが。