今年も「富岡八幡宮」の祭りの日がやって来た。
開催日は8月13日(水)から17日(日)までで、今年は「影祭」である。
本祭りは3年に一度で、今年は「影祭」なので多くの神輿は出ずに「二之宮神輿」だけが出る。
この日も朝から暑かったが最近はブログのネタが少ないので、16日に我慢して出掛けて行った。16日に行った理由は子供神輿が出るようなので、富岡八幡宮まで様子を見に行ったのである。

「富岡八幡宮」の本殿と神官
HPを見ると『富岡八幡宮は1627年、初代別当長盛法印が霊夢に感じ、八幡様の御神影をお祀りしたのが始りと伝えられています。その頃の深川は隅田川河口の海辺の村落といったところでしたが、やがて周辺の埋め立てが進んで門前町が形成され、一方では深浜の漁師町、木塲の木材商、佐賀の倉庫地帯、新川の酒問屋街などの発展により・・・』
『江戸の暮らしを支える拠点としても発展、繁栄をみるようになりました。富岡八幡宮の祭礼は深川八幡祭とも称され1642年に将軍家光の長男(後の家綱)の世嗣祝賀を執り行ったのが始りとされています』とある。
この日は影祭にも関わらず、参道には多くの屋台が出ていたがお客は少なかった。

屋台も20軒以上も出ていた。
表通りを歩いていたら路地から祭囃子が聞こえた。
そこに行ってみたらお囃子屋台車に続いて、子供神輿がやって来た。
小さな子供が小さな神輿を担ぐというより、抱えながらやって来るのが見えた。
沿道の大人達は用意してあるプラスチックの桶から、加減もせずに大量の水を子供神輿にぶっ掛けていた。まあ暑い日だったので、気持ちが良かったかもしれない。

「子供神輿」に盛大に水を掛ける。
(おまけの話)
翌日の最終日の17日(日)には「二之宮神輿」が出ると知り、豊洲まで見に行った。
神輿の渡御は一部会から7部会まで地区割があり、今年は「二之宮」担当?のようで各地区で担ぎ手が交代する。この辺りのことは調べてみたが、私にはよく分からなかった。
私が見に行こうと考えたのは、豊洲地区の五部会からの渡御である。
五部会は豊洲エリア・枝川エリアのようで、13時20分に芝浦工業大学キャンパス前からスタートすると分かった。そこなら自宅前から東京BRTに乗ればすぐ近くまで行けると思い、普段は出掛けない日曜日なのに出掛けて行った。

豊洲橋を渡る「渡御一行」
予定時間より早く行き過ぎてしまったので、芝浦工業大学の構内に入り涼しそうな場所を探した。しかし校舎には入れないので、結局は大学の奥の豊洲運河まで行き、そこにあったベンチで待つことにした。
左手に見える「豊洲橋」の上を神輿は必ず通るので、ここで休んでいても大丈夫だと思った。遠くから風に乗ってお囃子の音が聞こえて来た。「そろそろ来るな」と思い、撮影の準備をする。

提灯を先頭に一行が進む。
いざ渡御一行が橋の上に差し掛かったら、遠くてよく見えない。
慌てて道路の方へ行って驚いた。私が来た1時間前は誰もいないし、祭りの雰囲気も全くなかった。それが歩道を埋め尽くす人達で溢れていた。「どこから湧いて来たのか?」という感じだった。
この日の東京の最高気温は34.8度だったようだが、ギラギラと照り付ける太陽の下では40度くらいに感じた。渡御の一行も、見物する方も命がけである。

神輿の担ぎ手より伴走者が多い。
豊洲橋から芝浦工業大学まではすぐ近くだが、神輿はなかなか進まない。
しかも影祭のせいか、本祭りの時のように沿道の人達から水も掛けられない。
高齢者の渡御メンバーが具合が悪くなったのか、途中で歩道に上がるのが見えた。
救急車のサイレンの音が聞こえたが、渡御一行か見物人から熱中症患者が出たか?
芝浦工業大学の前では、五部会の人達が盛大に太鼓を叩いている。
午後1時20分に芝浦工業大学前で、四部会から五部会に神輿が引き渡される。
大勢の五部会の一行が待ち構える前に神輿が到着し、そこで「シャンシャンシャン」の手締めが行われた。
この東京の暑さでは、祭りは夏を避けて「秋」にした方が良いと思った。
甲子園の高校野球でさえ、早朝と夕方から試合をするように変更になった。
その方が渡御する方も、見物客も助かると思う。祭りの日は歴史的な由来があるから、難しいのかもしれないが・・・。

「五部会」の担ぎ手が待機している。
「五部会」に引き継がれた神輿は、元気よく晴海通りの方に進んで行った。
まだ五部会は始まったばかりなので、元気が良い。
少し先に消防署員が待ち構えていて、消防ホースで神輿の担ぎ手に盛大に水を掛けていた。みんな気持ち良さそうな顔をしている。
深川八幡祭は「こうでなきゃ!」と、やっと感じられた。

消防署員が盛大に神輿に向かって放水する。
渡御一行は午前7時に「宮出」して、夕方の5時に「宮入」となる。
真夏の10時間の苦行である。神主が先頭を歩いているが、たぶん途中で交代しているのだろう。部会は1部から7部まであるようで、それが渡御する巡行路に順番には並んでいない。だから途中で神輿は2回もトラックで移動しているようだ。
五部会の渡御一行は晴海通りに出て、豊洲駅の方向へ進んで行った。
私は横断歩道橋の上からその様子を撮影してから、都バスに乗って家に戻った。
次回の本祭りは2026年であるが、その時も今年のように暑ければ、果たして見に行けるだろうか?

「晴海通り」を豊洲駅に向かう一行(歩道橋の上から)
\ この記事をシェアする /
コメントはまだありません。
コメントを書く