今年も靖国神社の「みたままつり」が7月13日から16日まで行われた。
「みたままつり」というのは『日本古来の信仰に因み昭和22年に始まり、戦没者のみ霊を慰める祀り』である。参道の両側には神門を過ぎ拝殿前の鳥居の近くまで、提灯と献灯が続く。
そして暗くなると参道に飾られた提灯に一斉に灯がともる。
これ等の夜景が見事なのだが最近の私は夜に出掛けるのが億劫になっていて、暑い中を昼間に我慢して見に行った。

靖国神社の入口と大鳥居
私が行ったのは7月14日(月)で、この日は台風5号が東京地方を襲うかもしれないという予報が出ていた。
どうせ雨が降っても私は家にいられないのだからと思い、傘をさして出掛けて行った。
大鳥居をくぐると、左右に大量の黄色の提灯が吊り下げられている。
これが夜になると灯がともるのだから、壮観である。
例年なら大勢の人が参拝に訪れているので、人が入らない動画は撮影できない。
滅多に無い機会なので、ゆっくりと動画撮影をした。
参道の中間点辺りに、大きな銅像が立っている。
この銅像は「日本陸軍の父」と言われている「大村益次郎」である。
銅像の下の説明文を読むと、彼は『長州藩の出身で蘭学に優れ、維新政府に参画して近代的軍隊の基礎を作った。・・・』
『また靖国神社の前身である「招魂社」を九段坂上に建立することを決定した。ところが大村に反感を持つ士族等に京都で襲われて重傷を負い、招魂社創建直後の明治2年に大阪で没した。享年47歳だった』。

参道中央に「大村 益次郎」の銅像
「大村益次郎」の銅像の周りは、13日から16日まで盆踊りが行われる会場になる。
更に進むと道路を横切ることになる。道路の手前に、いつもは見掛ける右翼の車が停まっていない。この右手には「朝鮮総連中央本部」があるので、常に警察官が待機している。
道路の先には「下乗」と書かれた立札が出ている。「ここから先は車から降りろ」という意味である。右側の提灯が買い占められていて、「新しい歴史教科書をつくる会」などは、横に13張りも並べている。
この提灯の献灯料は1張り2万円であるから、横一列で13張りで26万円になる。

同じグループで買い占めている。
この提灯が終ると、「神門」となる。
いつも右端に記念写真撮影の写真屋が待機しているが、私の見ている時にお客がついたことがない。神門の上から大きな「吹き流し」が下がっている。
この写真も例年では人が多くて、人の入らない写真は撮影できない。
幸いにここまで来ても台風の影響は無く、雨にも降られなかった。

神門に下がる「吹き流し」
神門をくぐると、もう少し先が拝殿である。
左右には各界名士たちの「縣ぼんぼり」が並んでいる。
社務所に向かう場所や横にも手の平に乗る大きさの「ぼんぼり」が飾られている。
こちらの献灯料は安く、5000円である。
大きな提灯が1万張り、小さな「ぼんぼり」が2万張りと発表されている。
これを計算してみたら、(1万×2万円)+(2万×5000円)=3億円となる。
こういう「計算はしてはいけない」のかもしれない。

神官が2人、社務所に向かう。
(おまけの話)
神門を入ると、左右に有名人の奉納した「縣ぼんぼり」がともる。
こちらの奉納金額を調べてみたが、靖国神社のホームページにも出て来ない。
きっと「心付け」なので、人により金額は色々なのだろう。
でも毎年目立つ場所を確保している有名人は、きっと大金を奉納しているのだろう。
多くの有名人が奉納しているが、その中から誰でも知っている4人の「縣ぼんぼり」を紹介する。順不同だが最初は左側にある「元谷 芙美子」(78)で、彼女は「私が社長です」で有名な「APAホテル」の社長である。
私は現役の時にはAPAホテルには何回かお世話になっている。

APAホテル社長「元谷 芙美子」
神門を入った左側の目立つ場所に毎年、「縣ぼんぼり」を献灯しているのが「YES TAKASU」で有名な、日本で最初に美容整形手術を始めた「高須 克弥」(80)と、彼のパートナーである漫画家の「西原 理恵子」(59)である。
私は美容整形には賛成である。運悪く親の遺伝を引き継いで劣等感で人生を送るより、美容整形で人生が変わるなら、そうした方が良い。
ただ美容整形を知らないで結婚して、待望の子供が生まれた旦那は衝撃を受けるかもしれない。だから美容整形した人は、結婚する時は相手に正直に伝えた方が良いと思う。

高須クリニック「YES TAKASU」
神門を入って右側には力士と行司の「縣ぼんぼり」が並んでいる。
私はあまり相撲を見ないので、力士名はよく分からない。それでも横綱の「大の里」は知っている。第75代横綱で、本名は中村 泰輝(25)である。
彼は石川県河北群津幡町の出身なので、先の能登半島地震の場所である。
日本の伝統である大相撲の横綱をモンゴル人などで占められていたが、やっと日本人の横綱が誕生した。なかなかの好青年のようなので、長く横綱を続けて欲しい。
でもちょっと字が下手なので、相撲の合間に少し練習した方が良いかもしれない。

横綱「大の里」
最後は「デヴィ・スカルノ」(85)である。
彼女は日本生まれの日本人だったが、来日したインドネシアの元スカルノ大統領に見染められて第3夫人になった。
スカルノ大統領の死後は、日本でタレント活動をしている。
彼女も毎年、左側の同じ場所に献灯している常連である。
自分で描いたのだろうが、紫陽花と朝顔の絵が上手だ。

「デヴィ・スカルノ」
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