引退後は今までに色々な「札所巡り」を行って来た。
暇人にはこの寺社巡りは時間つぶしとなって、とてもありがたい。
今までに巡ったところを、うろ覚えながら書き出してみた。
谷中七福神、銀座七福神、港七福神、深川七福神、浅草七福神、東京十社巡り、麻布七福神、まだ他にもあったかもしれない。
やっと涼しくなって来たので、今回は「江戸六地蔵」を巡ってみた。
資料によると「江戸六地蔵」とは京都の六地蔵に倣って、江戸の出入口6ヵ所に設置されている地蔵だそうだ。
深川の地蔵坊正元発願の江戸六地蔵と、東都歳時記による江戸六地蔵の2つがあるが、東都歳時記の江戸六地蔵はいつの頃からか廃れてしまい、今は1706年に江戸市中から広く寄進者を得て設置された深川の江戸六地蔵が残った。
その六地蔵は品川寺(品川区南品川)、霊巌寺(江東区白河)、東禅寺(台東区東浅草)、大宗寺(新宿区新宿)、真性寺(豊島区巣鴨)、永代寺(江東区富岡)の六寺だったが、廃仏毀釈で永代寺が廃棄となったので浄名院(台東区上野)が代仏となった。
現在の永代寺は、明治29年に旧永代寺の塔頭の吉祥院が名称を引継ぎ再興された寺である。しかし六地蔵には復帰していないが、近いので今回は参拝をしに行った。
東京には「江戸三十三観音霊場」というのもある。お寺や神社は集まって仲間を作るのが好きなのか、或いは江戸時代に流行ったようだ。
そのせいか1つの寺が、いくつもの「〇〇札所巡り」に参加している。
だから私は今までの札所巡りで、同じ寺に何度も参拝に行っている。
最近では若い女性が「パワースポット巡り」で来るので、それまではひとけの無かったお寺で彼女達を見掛けるようになった。
東京で参加寺社の多いのは「御府内八十八霊場」で、これは弘法大師ゆかりの八十八ヵ所の寺院を、祈願のために参拝するもので、四国遍路(四国八十八ヵ所)を模して、1755年頃に新宿区にある多聞院に墓のある正等和尚が開創したものと伝えられている。
今年の4月にはKITTEで、「日本百観音 in 東京」という有料イベントも行われた。
今回の「六地蔵巡り」では、最初から躓いた。
第一番目に一番遠い「品川寺」から片付けようと考えた。
ここは京急電車の窓から森が見えるので、地図は不要だった。
品川駅から京急に乗って窓から外を見ていたら、その森が見えたので「新馬場駅」で降りた。
石段を上り境内を見て回ったが、地蔵が見付からない。そこで社務所に寄って『六地蔵はどこにあありますか?』と聞いた。すると神官が『ここは神社なので地蔵はありません』と言った。そこでやっと気が付いた。
ここは品川神社で、品川寺ではなかったのだ。自分のバカさ加減に嫌になった。
「江戸六地蔵巡り」は2~3日で終わらす予定でいた。
ところが色々と予定が入り、全てを廻るのに1ヶ月以上も掛かってしまった。
最初の「霊巌寺」に行った時は、まだ暑い盛りの8月後半だった。
それが最後の巣鴨の「真性寺」に行った時は、涼風が立つ10月初旬になっていた。
そして六地蔵は行ってみて分かったのだが、全て以前に行ったことのあるお寺だったのである。
(おまけの話)
現地でスマホで場所を調べると、画面が小さくてよく分からなくて困った経験から、いつも地図をプリントして持参するようになった。
今回もホームページで「霊巌寺」の住所を調べて、その地図をプリントして持参した。
地図では都バスを「東陽町駅前」で降りて、少し歩くようになっていた。
しかしどこまで行っても見当たらない。改めてプリントの住所を確認したら、江戸川区だが「白川」となっていた。実際は「白河」なのに、私のインプット間違いだった。
またやった! 自分のバカさ加減に、うんざりした。
別の日に改めて「霊巌寺」に行った。
住所は江東区白河であるが、この辺りは「深川」という場所である。
深川はまだ昔の面影が多く残っていて、高層ビルはほとんど無い。
「深川と言えば」・・・深川飯、松尾芭蕉、相撲部屋、寺町である。
最近の深川はお洒落になって、カフェでも知られるようになった。
近くに法乗院というお寺があり、ここの巨大な「閻魔さま」は見逃せない。
白河庭園の裏には大きな「白河公園」がある。
自然が豊かな公園で、以前はよく「ドングリ」を拾いに行った。
今の時期は「ドングリ」は終って、地面いっぱいに落ちている。
まだ紅葉には早い。乾いた池の縁に植えられている「杉」に、沢山の実が付いていた。
ドングリ、モミジ、杉の実を何枚も写真に撮った。
深川はゆっくりと観光するには、とても良いところだ。
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