日本漫画界を代表する、昔の若者達が住んでいたアパートは「トキワ荘」である。
手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などが、無名の時代に住んでいたところである。
「トキワ荘」のあった場所は大江戸線の「落合南長崎駅」から、歩いて10分くらいのところにあった。
その頃は大江戸線は無かったので、多分、彼らは西武線の「椎名町駅」を利用していたと思う。最近になり「トキワ荘」が復元されて、「トキワ荘マンガミュージアム」になったと知り、早速出掛けて行った。
漫画家たちが住んでいた「トキワ荘」は1952年から1982年まで存在し、多くの漫画家がここから巣立って行ったのである。元の「トキワ荘」があった場所は、現在の「トキワ荘マンガミュージアム」からは300メートルくらい離れた会社の所有地になっていて、入口右手に記念碑が立ててある。
「トキワ荘マンガミュージアム」は南長崎花咲公園内にあり、豊島区の所有である。
入館料は「500円」で、ピンバッチがプレゼントに付く。
私は以前からマンガやアニメはあまり見ないので、マンガ家の名前くらいは知っているが、彼らの漫画は手塚治虫のものくらいしか読んだことがない。特に最近のマンガやアニメは、全く見ないから分からない、
私は以前から「落語は好きだが、漫才は嫌い」なので、なにか関係があるだろうか?
午前11時20分の回に予約して行ったら、10人くらいの高齢者と一緒になった。
今は特別展「ふたりの絆 石ノ森章太郎と赤塚不二夫」が開催中だった。
この2人はとても仲が良く、生涯の親友関係だったそうだ。
石ノ森章太郎の代表作は「サイボーグ009」で、赤塚不二夫のは「天才バカボン」で、全く毛色の違う作品だった。2人で合作のマンガを書いたこともあったようだ。
石ノ森章太郎は初めて売れた「火の鳥 風太郎」の原稿料を持って秋葉原に行き、ステレオを買った。そして部屋で赤塚不二夫と10円のコッペパンを半分ずつ食べて、音楽に聞き入ったという話が書いてあった。
トキワ荘の部屋は10部屋で、全て四畳半だった。
風呂は無いので、夜中に流しに水を溜めて、そこで体を洗っていたようだ。
みんな若かったので、貧しくとも希望を持ち、楽しい時間を過ごしたのではないだろうか?
見学用の部屋によっては、「撮影ポイント」の表示があり、マンガのパネルと一緒に写真が撮れるようになっている。私も記念に自撮り写真を撮った。
部屋ごとに、誰が使っていた部屋かを忠実に再現している。
窓から見える風景は、よく見たら本物ではなく絵であった。
他のオヤジ達はマンガファンらしく、1部屋1部屋をじっくり見ているので、なかなか終らない。
私は適当に切り上げて次の部屋に行くので、約25分で見終ってしまった。
昔のマンガ好きには堪らない、「トキワ荘マンガミュージアム」だった。
赤塚不二夫の天才「バカボン」は、あまり読んでいないが知っている。
バカボンのオヤジの決めセリフは「これでいいのだ」である。
この言葉は重宝で、私も時々、使わしてもらっている。
「運命に逆らっても仕方ない時」には、私も「これでいいのだ」と思うようにしている。人生を振り返ると、「あの時、ああしておけば・・」など多くあったが、今になって思うのは「これでいいのだ」である。
(おまけの話)
「トキワ荘マンガミュージアム」を出ると、公園の前は「トキワ荘通り」と名が付いている。ここは商店街となっているが、シャッター通りで歩いている人を見掛けない。
シャッターには、あまり上手でない絵が描かれている。
少し歩いて感じたが、この通りにはコンビニが無い。歩く人がいないところには、コンビニは出店しないのだなー。
漫画家たちがよく通ったり、出前を取った中華料理店が今でも営業している。
どこにでもあるような店構えの「松葉」という名の店で、私は記念に入ってみた。
壁にはメニューと一緒に、漫画家たちのサインした色紙が貼ってある。
「ラーメン」(600円)を注文した。出て来たラーメンは、スープが黒かった。
醤油味が強く、出汁があまり効いていない。昔の味をそのまま守っているのかもしれない。マンガファンが来る店かと思ったら、いたのは工事作業員だけだった。
道路わきの電柱には「トキワ荘マンガミュージアム」の幟が下がっている。
アチコチにモニュメントも設置されていて、「マンガ」で町興しをしようとしている。
今の時代は新しいマンガで、世界からマンガに登場する聖地巡礼のファンが訪れている。
一方で昔の俳優や歌手の加山雄三・美空ひばり・石原裕次郎記念館が閉鎖となっている。昔のマンガのファンは高齢化してしまい、「トキワ荘マンガミュージアム」も同じような運命を辿るのではないかと心配だ。
\ この記事をシェアする /
コメントはまだありません。
コメントを書く