最近のことだが、「ど忘れ書道」という本を読んだ。
「書道」と名が付いているので、書道に関する「ど忘れ」の本だと思った。
著者は「いとうせいこう」で、彼は仏像に明るく何冊も本を書いている。
私は仏像彫刻もするし写経もしているので、この本は面白いに違いないと思った。

題名から想像したのは、「書道をしたが、書く字を忘れた話」だと思った。
ところが内容は全く違った。
彼が忘れてしまった言葉を思い出せず、それを書道で1枚の紙に書き連ねた9年間の記録であった。
自分にも当て嵌まるので、「そうそう」と納得する話である。

私も同じ単語や人名が思い出せず、イライラしたことがあるので可笑しかった。
例えば彼と同じく、「マイケル・ムーア」監督の名前が思い出せなかった。
マイケル・ムーアの映画はほとんど見ているので、名前を思い出せなかった時は自分でも「遂に老いたか!」とびっくりした覚えがある。

「マイケル」は思い出せたのだが、その後の苗字が思い出せない。
姿形はハッキリと思い出している。
夏には暑苦しいほどにかなり太っていて、野球帽をかぶり、眼鏡をかけている。
頭に浮かぶのは同じ「マイケル」でもスーパースターの「マイケル・ジャクソン」とか、バスケットボールの「マイケル・ジョーダン」、ハーバード大学教授の「マイケル・サンデル」などだ。

昔なら思い出せずそのままイライラして終りになるが、いまは便利な世の中になった。
インターネットで、「映画監督」、「マイケル」と検索すれば、「マイケル・ムーア」が出て来る。
便利になったのは良いことだが、その一方で「忘れても構わない」という気持ちになり、覚えようと努力しなくなる。そしてボケが普通より早く進行する。

昔のことだが、よくオヤジがオフクロに「あれはどうした?」なんて言っていた。
オフクロもそれで分ってしまう。私にすれば「変な夫婦だなー」と思っていた。
またある時は「やっこさんはどうした?」なんて下請けの社長に言っているので、私にすればもう理解を越えていた。「あれ」とか「やっこさん」とオヤジが言っていたのは、きっと固有名詞を思い出せなかったからだろう。

自分がオヤジの年をはるかに越えてしまったが、自分では「まだ大丈夫」と思っているが、他人から見たらどうか分からない。忘れては困ることは、来年のことでも極力、手帳に書いて置く。
困るのはその時はメモのつもりで簡略に書いたのが、後になると「これはなに?」となってしまうことである。でも現役時代と違い、「思い出せないで困る」というほどのことは無くなった。

(おまけの話)
ボケ具合の検査の為に、「記憶力の検査」というものがある。
検査員から10個の関連の無い品物の絵を見せられて、その後、全く関係の無い話をする。
そして「先ほどの10個の品物の名前を言って下さい」と言われる。
私は以前にこのテストを受けたことがあり、「10個くらいなら、覚えていられる」と思った。
ところが、いざやってみたら7個しか答えられなかった。今なら5個くらいか?

良く知っている人なのに、どうしても名前が思い出せないということがある。
特にとんでもない場所で出会うと、なおさら思い出せない。
中高の同級生にシドニーのランチクルーズの船上で出会った時がそうだった。
顔は知っているのに、「どこの誰か?」が全く思い出せなかった。
彼と別れた後に、「そうだ同級生だった」ということがあった。20年ほど前のことだった。

30年くらい前に、サンフランシスコで取引先の社長に連れて行かれて入った日本料理店で、カウンターの中で寿司を握っていた男に声を掛けられた。「久しぶりだなー、橋本」と名前を言われた。
私はどうしても彼を思い出せなかった。寿司職人に友達はいないからである。
なんとなく話を合わせて思い出そうとしたが、無駄だった。
それから1年くらい後に、同窓会でアメリカの話が出た。
その時になって、私は彼がKという同級生だったことを思い出したのである。

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