■伊藤博文暗殺
1908年、10月26日、満州国ハルビン駅で日本国初代首相にして当時は枢密院議長の要職にあった伊藤博文が、テロリスト安重根の手によって暗殺された。日本史の教科書にも必ず掲載されているこの事件は、伊藤本人が避けようと思えば避ける事が出来た事件でもあった…。何故なら、伊藤博文は満州行きを前に、一人の易者から「出来るなら(満州行きを)控えよ!卒倒するか、怪我をする」と警告されていたそうで…。
伊藤博文の不吉な未来をズバリ予言したのは、高島嘉右衛門(1832~1914)という人物で、今もタカシマ易学の継承者であると自称する人も多く存在し、小冊子風に編纂された高島易断の暦が置かれているのを見かけた覚えのある人も多いでしょうね?現在も意外なほど一般家庭に浸透している、タカシマ易学の始祖がこの高島嘉右衛門なんです…。

この中で、嘉右衛門は戦争に勝利した後も、国は特定しなかったものの、独・露・仏の三国干渉が起こりうる事まで予言している。更に、10年後に勃発する日露戦争までも予言の視野に収めて伊藤に助言している。そして何よりも、伊藤は自分の養子を嘉右衛門の娘と結婚させ、姻戚関係さえ結んでいる…。いかに伊藤が嘉右衛門を信頼していたかが想像出来ますよね…?
ただ、幕末維新の気骨のようなものを引きずっていた伊藤は「畳の上で死のうとは思わない」と、信頼していた嘉右衛門の助言をあえて無視する…。いわば大見得を切って満州視察へと出かけていった訳ですが、不幸にも予言というか占いは見事に的中してしまい一命を落とす事となった…。

確かに、高島嘉右衛門の占いはよく的中していたようで、その端的な例として引き合いに出されるのが、彼の最後の易占いでして…。
