■キリストの墓
「竹内文書」という文献をご存知だろうか?古代の文字と言われる「神代文字」で書かれたこの文献が世に出たのは、昭和3年(1928年)3月29日の事で、平群真鳥の子孫とされるのが竹内家で、富山県の赤地神明宮の神主として仕えて来た。その竹内家の養子に入ったと自称する”竹内巨麿”が公表した文書だ!竹内は、明治43年(1910年)に新興宗教・天津教の開祖となった人物なんだけど、この「竹内文書」に書かれていた事がとんでもない内容で…ビッグバンでこの宇宙が誕生する以前に天皇がいて、その天皇が神として「天浮船」に乗って地球にやって来た。そして超文明を栄えさせた!
に始まって、イエス・キリストや釈迦をはじめとする世界中の大宗教の教祖が、全て来日したうえ、天皇に仕えていた…モーゼの十戒も、神宝として天津教が所有している…。等やムー大陸やアトランティス大陸を思わせる”沈んだ大陸”の記述さえあるとんでもない文書なのね(笑)。当然、昭和12年(1945年)竹内は不敬罪で逮捕されて「竹内文書」も証拠品として押収されてしまううんだけど、今でもアメリカの国立公文館には原本が残っている…。偽者扱いされたこの文書なんだけど…。
この文書の中に”イエス・キリストは一度来日して、キリスト教を広め、自分が磔で殺されるのを察知し、日本に逃れ106歳の天寿を全うした…”という記述もある。皆さん、青森県新郷村戸来という所をご存知だろうか…?実は、この場所「竹内文書」の記述を頼りに、この村を訪れた竹内一行が、同村の旧家である沢口家の敷地に2つの土饅頭を発見し、「これこそがイエス・キリストならびに弟のイスキリの墓である!」と断定した場所なんですよ!
何故、ユダヤの民であるキリストが日本を訪れたのか?それを示す竹内文書と同地の伝説はこう語っている。キリストが最初に日本に渡航したのは11代天皇・垂仁の時代で、日本で幾年か修行をした後、ユダヤに帰りキリスト教を布教したが、ローマからの迫害を受け、ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは知っての通りだろうけど、実は!磔刑にされたのはキリストの身代わりになった弟のイスキリで、キリスト自身はシベリアからアラスカへ逃げ、そして八戸を訪れ、「十来太郎天空坊」=とらいたろうてんくうぼう(天狗の事)と称し、戸来(へらいと読む)で106歳の天寿をまっとうしたという…。
かなり無謀な話なもんで、実際当時も村人自身、ほぼ全員が信じていなかったらしいが、竹内説を支持する人たちの間で、様々な傍証が出されるにつれ、このキリスト伝説は単なる笑い事では済まされなくなっていった…。
まず、キリストの生い立ちだが、聖書では処女のマリアが神から祝福され、身ごもって馬小屋でキリストを産み落とすところから、21歳くらいまでの記述はあるが、パプテスマのヨハネにヨルダン川で洗礼を受けるのが33歳前後…。要するに、聖書でも空白の11年間という時間が存在している!このとき日本にいたのだ!としたらどうだろうか?まして、この戸来の方言や習慣がキリスト教やユダヤとの関連性を無視出来ないものがある!まず、戸来=「へらい」という地名は、「ヘブライ」の転訛である事。この地方は、かつて父親の事を「アダ」、母親の事を「アバ」と呼んでいた…。当然連想されるのがエデンの園で有名なアダムとイブなのは言うまでもないですよね…。

まだ他にもこの地には「ヤッコ」という風習があり、赤子の額に墨で十字を書いて魔除けを願ったり、足がしびれた時は人差し指にツバをつけ、額に十字を三度書くと治るという風習もある。キリストの墓がある沢口家の戸袋についた沢口家の紋章は日本の紋章にはほど遠い「ダビデの星」(六芒星)にかなり近いデザインなのも不思議でならない…。
加えて、新郷村を含めたかつての南部藩北部一帯には、言葉の意味が解らない盆踊り「ナニャドヤラ」というものがある。これは方言とかではなく、本当に意味不明なのね私の記憶が確かならその歌詞は ナニャドヤラ~ナニャドナザレノ~ナニャドヤラ~
こんな歌詞だったと思うが、何も意味が解らない歌詞を繰り返すだけの盆踊りなんだけどね。ただ、神学者・川森田英二とい人の解読によるとヘブライ語では通じるんだとさ…「聖前に主を讃えよ…」という意味なんだそうだ。
「キリストの村へようこそ!」と書かれた看板に導かれ、入って行くと、そこには「キリストの里伝承館」という建物があるのだが、その手前に立派な十字架が2つ並んでいる…。1つはイエス・キリストの墓とされる十来塚、もう1つは自分の身代わりになった弟のイスキリの耳と聖母マリアの聖髪が納められている十代塚だそうだ…。興味がある方は一度行ってみてはいかがでしょう?ちなみに、同地はにんにくの名産地である!サチバミンアイス(にんにくのアイスクリーム)は臭みなど全然なく、絶品なんで、そちらのほうもお忘れなく!