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[2019.08.15]
■日蓮聖人
 私は法華宗の人間ではないですけど、法華宗を開いた日蓮って、すごい人だと思いますよ…。日蓮は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に生まれた。誕生の瞬間から神秘的な伝説に彩られた人物で、庭先から泉が湧き出して産湯に使ったという「誕生水」や、日蓮の誕生によって浜辺で時ならぬ青蓮華が咲いたという「蓮華ヶ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まったという「妙の浦」、以上3つの摩訶不思議な話が伝わっている…。 


 これは、「三奇端」と呼ばれている。日蓮の生家跡には、直弟子の日家上人が建立した誕生寺があって、現在も、日蓮宗の大本山として全国の信徒や観光客が参拝に訪れている…。 
 日蓮は、幼名を善日麿といい、出家すると清澄寺で16歳まで仏道を修める。17歳から21歳までは鎌倉に出て、念仏や禅宗を研究し、その後は、延暦寺、三井寺、法隆寺等で仏教の奥義を極めつつ、釈迦の本旨は法華経である!との結論に達して、建長5年(1253)、32歳の時に清澄寺に入ると、有名な「南無妙法蓮華経」の題目を唱え始め、法華宗の開宗宣言を行った。鎌倉に遊説に出て、「辻説法」という新しい方法で民衆の教化に努めるようになったのは、その後の事…。 
 
 日蓮が宗教家として日本史の中で際立っているのは、他宗派への攻撃も辞さない闘争性と、時の権力者をも恐れない社会への警鐘とを、宗論と布教活動の中で大量に持っていた事ではないでしょうか?仏教の導入早々から神仏混淆が進み、念仏や禅等、新しい仏教が相次いで誕生した鎌倉時代でも、他宗の考え方にはおおむね寛容な宗派が多かった。日本宗教史において、この日蓮の個性は際立ったものがあり、その強いカリスマ性から、後の時代にも結束力の高い教団形成が行われた。現在に至るまで、多くの分派や信徒団体を形成し、独特の宗教観を築いている…。 
 文応元年(1260)には「立正安国論」を著し、念仏無間、禅天魔、真宗亡国、律国賊と他宗を罵倒したうえ、時の執権・北条氏を「わずかの小島の主」と嘲り、天下の僧俗を相手に挑戦を続けた。そのため、松葉が谷の焼き打ち、伊豆への配流、小松原の竜ノ口の法難、佐渡への遠島等、生死にかかわるような迫害も多く受けている…。 
 
 一度は、腰越龍ノ口刑場(現藤沢市片瀬、龍口寺)に引き出され処刑されかかるのだけど、処刑の直前、振り上げた刀が折れるという不思議な事が起きて中止となった…怖くなったんでしょうかね?日蓮の「種種御振舞御書」では、この件は「江の島のかたより月のごとく光たる物まりの様にて、辰巳の方より戌亥の方へ光渡る」と記され、球電現象らしきことが起こったとされている。その結果、「太刀取・目くらみたおれ臥し・兵共おぢ怖れ」ると伝わっている。また、他国からの侵略がある事を予言していて、「蒙古襲来」で、予言は現実のものになった…。 
 
 後に、身延山で著述と後進の育成に努めたが、弘安5年(1282)、中山法華経寺に行く途中、池上本願寺で病のため没した…。死後、皇室より日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈されている…。 
 日蓮死去の際、大地が震動し、晩秋から初冬にかけての時期にも関わらず、桜の花が咲いたとも伝えられている…。そのため、現在でも日蓮門下の諸派では、その命日にあたるお会式の際には、仏前に桜の造花を供えるのさ…。 
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PROFILE
タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
占いに使うアイテムは、タロットカード、占星術、など、多岐にわたりますが、アイテムをガイドとして使いながら、霊感によって、その人の本質を霊視します。  
この仕事についたのは、運命だと思っています。 
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