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[2015.01.15]
■伊藤博文暗殺
 1908年、10月26日、満州国ハルビン駅で日本国初代首相にして当時は枢密院議長の要職にあった伊藤博文が、テロリスト安重根の手によって暗殺された。日本史の教科書にも必ず掲載されているこの事件は、伊藤本人が避けようと思えば避ける事が出来た事件でもあった…。何故なら、伊藤博文は満州行きを前に、一人の易者から「出来るなら(満州行きを)控えよ!卒倒するか、怪我をする」と警告されていたそうで…。 


 伊藤博文の不吉な未来をズバリ予言したのは、高島嘉右衛門(1832〜1914)という人物で、今もタカシマ易学の継承者であると自称する人も多く存在し、小冊子風に編纂された高島易断の暦が置かれているのを見かけた覚えのある人も多いでしょうね?現在も意外なほど一般家庭に浸透している、タカシマ易学の始祖がこの高島嘉右衛門なんです…。 
 嘉右衛門のアドバイスを、伊藤博文は嘲笑して聞き流した訳ではないようで、伊藤は嘉右衛門を自らのブレーンに加えるほど、彼の占いに信頼を寄せていた。事実、伊藤は二度目の総理大臣に就いていた1894年、日清戦争へと踏み切った際には嘉右衛門の易による進言を聞き入れて決断している…。 
 
 この中で、嘉右衛門は戦争に勝利した後も、国は特定しなかったものの、独・露・仏の三国干渉が起こりうる事まで予言している。更に、10年後に勃発する日露戦争までも予言の視野に収めて伊藤に助言している。そして何よりも、伊藤は自分の養子を嘉右衛門の娘と結婚させ、姻戚関係さえ結んでいる…。いかに伊藤が嘉右衛門を信頼していたかが想像出来ますよね…? 
 
 ただ、幕末維新の気骨のようなものを引きずっていた伊藤は「畳の上で死のうとは思わない」と、信頼していた嘉右衛門の助言をあえて無視する…。いわば大見得を切って満州視察へと出かけていった訳ですが、不幸にも予言というか占いは見事に的中してしまい一命を落とす事となった…。 
 伊藤博文の暗殺は、結果として、日本が推し進めていた韓国併合への動きを早める事となり、その後の急速な南方への領土拡大作戦へとつながって行く。これらの事実を総合すると、一国の歴史を左右し兼ねない事が、一人の易者によって決定されていた!という日本史における裏の真実に行き着く…。しかも、この頃の高島嘉右衛門は76歳のうえ、寝たきりという高齢者であったにもかかわらず、伊藤博文のほかにも、大隈重信、勝海舟、山県有朋、渋沢栄一、三条実美、松方正義、大久保利通など、当時の大物が高島嘉右衛門と太いコネクションで結ばれていた。彼らを中心に、高島嘉右衛門は易占いコンサルタントとして、政財界や陸海軍に隠然たる勢力を保持していた。 
 
 確かに、高島嘉右衛門の占いはよく的中していたようで、その端的な例として引き合いに出されるのが、彼の最後の易占いでして…。 
 その内容とは、高島嘉右衛門自身の死に関するものだった…。江戸、明治の時代を生き抜いた嘉右衛門は、大正時代に入った1914年に自分の余命を占う。そして、占いに出た日付を位牌に自筆で書き記す。彼が大往生を遂げたのは、その予言と一日も狂わない大正3年10月17日!享年83歳の死だった…。 
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PROFILE
タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
占いに使うアイテムは、タロットカード、占星術、など、多岐にわたりますが、アイテムをガイドとして使いながら、霊感によって、その人の本質を霊視します。  
この仕事についたのは、運命だと思っています。 
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