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[2013.08.01]
■赤い靴はいてた女の子
 今回は、ちょっと不思議な話から脱線してしまうかも?ですけど、童謡「赤い靴はいてた女の子」って、北海道にゆかりがある事知ってましたか?実は、お恥ずかしい事に、最近まで知らなかったんですよ…。留寿都村に”赤い靴公園”ってあるの知ってますか?そこに”きみちゃん”という像があるんですわ…。このきみちゃん像、横浜の山下公園にも母恋像とか言ってあった気がするんですけど…。子供の時は、この「赤い靴はいてた女の子」とドナドナ聞くとすごく何故か悲しかったんですよね…。 


 子供の時なんか、異人さんじゃなく、ひい爺さんか、いい爺さんって聞き間違っていたふしが強くて、何で、ひい爺さんや良い爺さんが、女の子連れていってしまうんだろう?くらい思ってもいたんですけどね…。曲のフレーズにもよるんでしょうけど、すごく悲しくなる曲に思えませんでしたかね? 
 実は、この”赤い靴はいてた女の子”北海道にゆかりがあるのは、この曲の作詞をした野口雨情という人でして…因みに作曲したのは本居長世という人なんだけど、1921年12月「小学女生」に発表されている。今一度、その歌詞はというと 
 
 ♪赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった 
 
 ♪横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった 
 
 ですよね?この作詞をした野口雨情という人は、20代の頃、1907年頃札幌にあった「北鳴新報」という新聞記者をしていたみたいなの…その時、一軒家を同僚の鈴木志郎一家と、二家族で借りていたみたいで、親しくなった鈴木さんの妻・かよさんから「実は私には結婚する前に、”きみ”という女の子がおりました…」と打ち明けられ、心に留まったそうで…。 
 かよさんは静岡から北海道に来たみたいなんですが、真狩村(現留寿都村)に入植する際に、酷寒の開拓地で幼子を育てるのは厳しすぎると、つてを経て”きみちゃん”を外国人宣教師の元へ里子に出してしまったそうなの…。 
 
 その後、上京した雨情は詩人として世に出て「赤い靴」が作られ、広く歌われるようになる…。 
 
 「雨情さんが、”きみちゃん”の事、歌にしてくださったのよ…。大きくなったろうね…。今はどこにいるんでしょう」かよさんは子供たちに、そう語って涙ぐんでたって…。 
 
 私は、実は2番までしかこの歌知らなかったんですけど、この歌には3番があってさ 
 
 ♪今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国にいるんだろぅ 
 その時代の事なんで、”きみちゃん”の消息は分からなくなっていたんだけど、昭和53年1978年になってあるテレビ局のプロデューサーが「赤い靴」の女の子を捜そう!と渡米したら「日本の女の子を養女にしたのはヒューイット宣教師夫妻です」との証言をデンバー近郊の町で得る。ただ、ヒューイット宣教師の身内たちは口をそろえて「いや、アメリカでそのような女の子と会った事はありません」という答えだった…。 
 調査は続けられ、辿り着いたのは東京で…”きみちゃん”は青山墓地にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っていた…。”きみちゃん”はアメリカに渡る前に病になってアメリカには渡れず、教会の永坂孤児院で療養するのだけど、そこで9歳の生涯を閉じていた…。 
 
 女の子の行方を知る由もないない雨情ではあるけど、ちょっと悲しい歌だったのは間違いないようですね(涙)。 
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PROFILE
タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
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この仕事についたのは、運命だと思っています。 
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