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[2012.07.15]
■福来 友吉博士と念写
 日本に居ながらにして月の裏側の写真を心に念じただけで写す…。当時、誰も月の裏側等知らない時に…。昭和6(1931)年にそうやって撮られた写真がある事をご存知だろうか?三田光一という超能力者が神戸の自宅で幽体離脱して視たものを40キロ離れた大阪の箕面にいる東京帝国大学助教授の福来友吉博士が持っていた乾板に「念写」した写真がそれです。有名でしょうからご存知の方も多いと思いますけど…。 


 念写とは、心に思い描いた事を印画紙等に画像として焼き付ける、感光現象を起こす事を言います。但し、念写を行う事が出来るのは、念動力(サイコキネシス=PK)という一部の特殊な能力の持ち主だけである事は、言うまでもないですよね…。その力を明治43(1910)年に世界で初めて「念写」と名付け、生涯研究したのが福来友吉博士です。福来博士は、当時”千里眼”として評判だった御船千鶴子や長尾郁子の透視能力の証明実験を行ううちに、念写を発見!その後も何人もの超能力者との実験を重ねて行った…。そして遠隔念写等により、思念だけでなく、幽体離脱して視たものを写せる事を証明した。また、死後も一定の期間は念が残存し、それが生存者の念に影響を及ぼすと考えた。その事から念写を本質的には「霊」が物質的な作用を起すものと認識していた。能力者が行う念写の特徴には以下の点がある。カメラを用いなくとも能力者が包装された乾板に向かって念を凝らすだけで写す事出来る。また、あらかじめどういうものを出現させるか予知する。但し精神状態によって予期しない画像が現われる事もある。念じる事で、何枚か重ねられた乾板のうち、1枚だけに、あるいは3枚目に人の顔、5枚目に文字を映すという事も出来れば、違う場所におかれた乾板に割り符のように1つになるように写す事も出来る。しかし、残念な事に、念写は社会の偏見と白眼視によって闇に葬り去られて行った…。 
 
 日本発、世界を恐怖の淵に叩き込んだホラー映画「リング」「らせん」に登場する山村貞子の母・志津子のモデルとなったのが、悲劇の超能力者・御船千鶴子ですよね?千鶴子は、明治19(1886)年に熊本で生まれた。22歳の時に陸軍中尉と結婚したが、姑との折り合いが悪くわずか3週間で離婚した。うち沈む千鶴子を元気づけようとした義兄の清原猛雄が施した催眠療法によって、千鶴子の超能力は目覚めたらしい。 
  
 千鶴子は、清原が治療院を訪れる患者たちの身体を透視する事が出来るようになっていた。彼女がその患部を指示し、清原が催眠療法で治療した。明治42年8月14日の「東京朝日新聞」に「不思議なる透視法、発明者は熊本の女」という見出しで、千鶴子の事が紹介されている。また当時、彼女は透視力を使って海底の炭鉱を探し出し、礼金として2万円(現在の2000万)を得た。しかしそれは千鶴子の不幸を告げる序章になる。父と義兄の間で千鶴子の奪い合いが始まった…。 
 
 その明治43年、千鶴子の不思議な能力の調査のため、東京帝国大学助教授の福来友吉博士が京都帝国大学医科大学教授の今村新吉と共に熊本を訪れた。透視実験は、封筒や鉛管等の中に、文字を書いた名刺大のカードを入れて密封し、その中身を当てるというもので、千鶴子と福来は、数々の実験を行い透視に成功した。そして9月には、東京帝国大学総長をはじめ、日本最高の権威者を前に東京で公開実験が行われた。ただ、透視成功と思われたその時!透視用に用意された鉛管と練習用に用意されていた鉛管がすり替わっていた事が発覚!単純な手違いだったのだけど、イカサマと決め付けられた。これをきっかけに否定的論調に責められ、翌44年1月18日、失望の中、自ら染料用の重クロム酸カリを服毒…26歳の若さで自殺してしまった…。 
 千里眼が日本中でブームが起こると、「千里眼の持ち主」と名乗る者が多数出現した。怪しげな者も少なくなかったけど、その中で千鶴子をも凌ぐ本物の超能力者が現われる!長尾郁子である。福来博士が郁子の事を知ったのは、東京での千鶴子の実験後、明治43年10月23日の「東京朝日新聞」の記事だった!そこには香川県丸亀区裁判所監督判事・長尾与吉の夫人郁子(39歳)が、数年前より地震や火事等を予言、すべて的中させ、千鶴子の実験を自分でも試すと苦もなく透視出来たとあった! 
 
 郁子は、透視する材料に触れる事もなく対坐したまま透視出来た。これは別室に移るか後ろを向かなければ透視出来なかった御船千鶴子との決定的な違いだった。イカサマの誹りをかわすのにも大変有利で、福来博士は大きな期待をかけていた。実験内容は、まずは撮影済みの写真のフィルムの内容を読み取らせるというもの…。12月4日の実験では「高」の字を、12日には「哉天兆」の字を読み取る事に成功した。 
 
実験材料のフィルムをチェックしていた時福来は、ある重大な事実に気付く!郁子の透視したフィルムには何やら薄い光が感光していた!それは透視の際に発せられる精神エネルギーではないか?と考えた福来は、新たな実験を用意した。フィルムに「心」という文字を写せるように念じて欲しいと頼んだ。これが世界初の念写実験である。そしてそのフィルムには、はっきりとしないものの「心」という文字が写し出されていた…。時間にしてわずか1分!郁子は千鶴子以上の能力を発揮するも、公開実験で、念写のための箱にフィルムが入っておらず、イカサマの汚名を着る事に…。そして郁子は、千鶴子の死後約1ヶ月後に急性肺炎で亡くなってしまう…。 
 
 この際だから全部書かせてもらうけど、「リング」の貞子のモデルとなった超能力者で高橋貞子という人いる。貞子は明治19(1886)年に岡山県和気郡和気町で生まれ、同県人の高橋宮二と結婚。千鶴子の千里眼騒動で超能力に気付いた宮二は、貞子にも透視実験を試みたのである。と同時に、犯罪者の透視を行い逃亡者逮捕に協力、警視庁から感謝状までもらっていたという。貞子の場合、トランス状態になり、突如として頭の中に巻物が浮び、その中の言葉が霊示となる。 
  
 大正2年、御船千鶴子、長尾郁子を相次いで失い、失意のどん底にいた福来の前に現われたのが、すでに念写実験さえ成功させていた貞子であった。貞子は、当時明治大学の総長を務め弁護士としても高名だった鵜沢聡明の紹介で福来を訪れた…。4月27日、福来邸に入った貞子はいきなり押入れを睨みつけ、「あそこに”妙法”の二字が現われている」と口にした。もちろん何も写ってはいなかったのだけど、開封前の乾板に念写する実験では、現像すると何と!「妙法」の文字が美しい書体で浮び上がっていた。いわゆる「妙法事件」と呼ばれる日本の超能力史上で名高い出来事であった。 
 
 次の実験では、まず用意された1ダースの乾板の包装の中身が4枚ずつ3つの包みに分けてある事を言い当て、その最初の包みの3枚目の乾板に「天」の字を念写すると告げ、言った通りに念写したのである。そして、その時他の乾板の1枚に「金」の文字と何か丸いモノ2つが写っていた。それはお金と貨幣であった。福来は、貞子の心の奥深く潜んでいるものが無意識のうちに写し出されたのだと考えた。つまり、潜在意識による念写にも成功したという事ですよね?ただ、世間はすでに超能力というか千里眼への興味を失っていてブームは去っていたから、世に認められる事なく貞子は姿をくらませてしまっている。 
 岐阜県には、ひっそりと福来友吉博物館?(記念館だったかも?)があります。こじんまりしていて、ハァって感じの展示物ではありますし、見逃してしまうほどの建物ですが、映画リングのファンの方や興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょう? 
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タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
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