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[2012.06.15]
■化野
 京都の中でも今では人気の観光スポットである嵯峨野…。その嵯峨野の奥まったところに、化野(あだしの)の地がある。化野には、念仏寺というお寺があって、「化野念仏寺」の名前でよく知られている。この化野念仏寺には、およそ8000体といわれる石仏・石塔があるんだけど、石仏は、20〜60センチクラスの小さなものばかりで、この石仏を取り囲むように五輪塔が置かれている…。 


 化野の地が今日、観光スポットとなる事が出来たのは、その石仏のおかげであるのだけど、元々化野は、悲惨な光景が広がる土地であったようで…。 
 
 京都は、平安時代に平安京として造営され、多くの庶民もこの地に移り住んで来た…。ただ、当時は、一般庶民は”墓”というものを持たなかったので、死ねば近くの野辺に葬るしかなかったようで、化野の地は、平安京で庶民が死体を葬っていた土地であったらしい…。 
 その当時の葬送法といえば、風葬であって、死者の体を火で焼く事もなく、埋める事もなかった。ただ野ざらしにするだけだから、遺体はやがて鳥や獣に食い荒らされ、ついには白骨となった。そんな白骨と、鳥獣に食い散らかされた遺体が、化野一帯に広がっていた…。 
 
当時の平安京は、現代のような衛生面の配慮等ない訳で、疫病の流行にはひじょうに脆かった…。疫病で多くの人が亡くなると、化野は亡骸であふれる事になる訳で、その無残な光景に衝撃を受けた真言宗の開祖・空海は300メートル四方の穴をつくり、そこに亡骸を埋め、寺を建てたと言われている。 
 
 平安時代の化野は死者の地であって、生者には近寄り難い場所だったようで、それが変わるのは平安末期の事だそうだ…。浄土宗の開祖・法然が空海ゆかりの寺を念仏寺と改め、やがて多くの石仏、石塔が置かれるようになって行く。その多くは室町時代のもので、化野の風景から禍々しさが消えて行った…。 
 近代では毎年8月23・24日の地蔵盆に、無縁仏の霊を慰めるための千灯供養が催されるようになって、人が溢れる地になっている。但し、厳密にはその下に多くの人骨が埋まっている事に変わりはなく、「化野の露」といえば今尚無常を意味する言葉である…。 
 
 嵯峨野の化野を訪れる際は、観光というより多くの霊の供養のつもりで私は行くようにしています…。 
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タリズマン・マスター
タリズマン・マスター
1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
札幌、苫小牧など、遠方よりお越しになる方も、多く占わせていただいています。  
 
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この仕事についたのは、運命だと思っています。 
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