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[2018.07.26]
■早池峰紀行
早池峰山(はやちねさん)は、岩手県の北上山地の最高峰で、古来から山岳信仰の山として知られる。また、かんらん岩や蛇紋岩質の山には、ハヤチネウスユキソウをはじめとする、この山だけの固有種の花が多いことでも知られている。  
奥深い山である。宮古港から中型のバスやシャトルバスを2回乗り継ぎ、約2時間半かけて小田越という登山口に着いた。  



このコースは、はじめに木道の多い沢筋を歩くが、全体の8割くらいは岩の上を歩く。岩だらけの山である。ちょうど高山植物が豊富な時期で、登山道脇にはハヤチネウスユキソウをはじめミヤマシオガマ、イワカガミ、コバイケイソウ、カラマツソウ、ミヤマアズマギク、チシマフウロ、シャクナゲ、ミヤマオダマキ、ミネウスユキソウ、ミヤマアケボノソウ、ナンブトウウチソウ、ヨツバシオガマなど多くの花々が咲いていた。特に尾根に出てからの500mの間は、それまでに増して花数が多かった。コバイケイソウがちょうど花盛りで、薄い黄色が入ったほぼ白い花は、緑の葉とともに活き活きとして山頂近くに群落を作っていた。  
わたしは30数年前にこの山に登った。会社時代の友人と、おそらく夏休みを利用して来たようだ。記憶が定かでない。上野から夜行で花巻か盛岡まで来て、どこの登山口から登ったのだろう。下ったのは長い稜線を時間をかけて下ったので、おそらく中岳、鶏頭山経由で早池峰神社のある岳(たけ)の集落に降りて、そこの民宿に泊まったのだろう。友人の記憶では、山頂近くにお花畑があったこと、山頂でゆっくりしたためか長い尾根を下って宿に着いた頃は、あたりは暗くなっていたとのことだった。  
今回山頂に着いたとき、白い剣の形のものを見たときに、「ああ、以前に見たことがあるな」と薄っすらながら記憶が戻った。  
 
早池峰山の山麓には遠野地方が広がる。  
「遠野物語(とおのものがたり)」は、柳田國男が1910年(明治43年)に発表した岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。  
柳田は献辞として「此書を外国に在る人々に呈す」と述べている。  
明治という時代、日本の関心が外へ向く時代にあって、その対極にある日本の山村に目を向けた柳田が周囲に向けて送った言葉である。  
 
その2話に「神の始」という話が収録されていて、早池峰山と女神の関係が語られている。  
*遠野の町は南北の川の落合にあり、以前は七十七里として、月に6度開かれる市には7つの渓谷、70里(およそ28km)の距離から売買のために商人1000人、馬1000頭が集まる賑わいをみせていた。周囲には遠野三山と呼ばれる山々があり、早池峰山、六角牛山、石上山(石神山)、これらには成り立ちに関する神話が存在する。  
大昔に女神とその3人の娘が遠野を訪れ、来内村の伊豆権現のある所に宿った際、女神は娘たちに良い夢を見た娘に対して良い山を与えると伝えた。夜深く天から霊華が舞い降り、姉の胸の上にこれが降りるも、末の娘が目を覚まし、これを自分の胸の上に移すことで最も美しいとされる早池峰山を手に入れた。そして姉達はそれぞれ六角牛山と石上山を得た。(中略)早池峰山はその経緯より、盗みを働いた者がその発覚を免れるよう願掛けをする、といったことでも霊験を得られると考えられ、早池峰信仰の普及に一役買ったとされている。また、これら3つの山は女神が住まう山であるため、遠野の人たちは神罰を恐れ、戦前までこの山には女性が入ることが禁じられていた。(後略)*  
 
また麓にある早池峰神社の創建について、神社のホームページでは、  
「草創は大同元年(807年)3月8日、猟師藤蔵(後に始閣と定む)が早池峰山頂に於いて権現垂跡の霊容を拝して発心、山道を拓いてその年の6月18日、山頂に七尺有余の宮を創建して祀ったのがこの社の始まりである。」  
とある。  
千数百年前に初めてこの岩山を登り、山頂に立った人はどんな感慨を持っただろう。  
岩がごろごろする道なき道で、歩きやすそうな岩を探しながら一歩づつ上への歩を進めただろう。わたしたちと同じ夏の時期であったなら、多くの花たちが咲き乱れて、つらい山行を慰めてくれたことだろう。特に山頂近くになって、尾根道にあふれているコバイケイソウ、ショウジョウバカマ、カラマツソウ、ハクサンチドリなどの花々に迎えられたら、つらかったことも忘れ、ここは楽園なのかと感じたかもしれない。岩と花の織りなす景色は、下界にはなく“神居ます”天上の世界を思わせたに違いない。晴れていると、遠く日本海側の鳥海山も望めるという。  
 
中腹から上の方では、ときどき青空ものぞくが、霧が流れて山を覆うことが多かった。登山道を歩いていると、ハイマツの匂いがしてきた。この匂いで夏の日高の山を思い出す。夏のむせかえる暑さの中、太いハイマツの枝はザックが引っかかると、強力なバネ力を発揮して、進むのに難儀した。そのときに嗅いだハイマツの匂いだ。  
岩の上を歩き続けると、尾根に出る近くに一枚岩の壁が出てくる。ここには2段になって、左右2列の鉄ばしごが掛けられている。四つん這いになって、一歩づつ慎重に登る。登る人、下る人で混み合うときは、声を掛け合って左右のはしごをそれぞれ上り下りで分けて使う。  
 
 
鉄ばしごの岩を登りきると、尾根が近い。尾根上ではコバイケイソウの群落が美しい景観を作っている。  
Wikipediaによると、コバイケイソウの「分布と生育環境」について、  
「日本の本州中部地方以北、北海道に分布し、山地から亜高山の草地や湿地のような、比較的湿気の多いところに生える。」  
とある。早池峰山上には池があり(わたしは今回未確認)、木道も敷かれていたので、比較的湿気が多い場所なのだろう。ちょうど花の盛りでわずかに黄味がかった白い大きな花がたくさんあり、見ごたえがあった。春の初めに、活き活きとした緑の葉が萌え出したときには見かけるのだが、花の時期に見たことが珍しかった。  
 
詩人・童話作家の宮沢賢治は花巻市出身で、早池峰山との縁が深い。  
1940年生まれの浅沼利一郎さんは、大迫町にある「早池峰と賢治の展示館」の館長をしている。(2011年9月時点)10代の頃から早池峰山に登り始め、2010年には早池峰山登山3000回を達成した。  
この方のインタビューで、賢治と早池峰山について語っているものがある。興味深いものなので、ここに一部紹介させていただく。  
*(前略)してね、賢治さんの本読むようになったら早池峰山の事いっぱい書いてある。22~23 あるけど賢治さんは頭で想像して書いたものは一つもない。 ぜんぶ実際の事ばかり。俺が登り始めた頃はまだ蒸気機関車だったから、煙とか陸橋を渡る音とか、汽笛とか、赤いシグナルなんかも見えてたんですよ、早池峰山からね。  
だから「銀河鉄道もそこじゃねか」となると、銀河鉄道を語る前に、宮沢賢治を語る前に 早池峰山は4億6千5百万年という地球でも最も古い地層なんですよ。そうすると賢治さんは地質に対する知識も優れた人だったから、そのことは十分わかって早池峰山に登る。頂上からね、銀河がこの状態で見える。 ここからぐるりと、銀河。まてよ、と。俺も銀河鉄道をちゃんと読んでみるべきなんだな、と思って読んでみた。したらば、読めば読むほどに出発点が大迫の「石川旅館」だ。ジョバンニがお母さんの牛乳とってくるシーンなんかも、学校あって郵便局あって牛乳屋あって牛屋さんあって、石川旅館から中町への通りそのまんま。(後略)*  
と「銀河鉄道の夜」の発想は早池峰山に登ったところから得ているのではないか、また大迫の町が物語のモデルになっているのではないか、と語っている。  
賢治は、早池峰山に3回は登った記録がある。この山に登りながら、多くの物語や詩の想を得たに違いない。  
 
◆参考資料  
・Wikipedia「遠野物語」  
・Wikipedia「早池峰山」  
・浅沼利一郎さんインタビュー記事  
(2018-7-22記) 
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2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
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