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[2018.11.08]
■北海道の列車たち3
北海道の中央部には、大雪山系と日高山系がつらなり、その麓を含めて独特の山岳風景を作ってくれている。その山裾を走る列車たちを眺めてみよう。  



富良野線の学田―富良野間を走るノースレインボーエクスプレスという列車だそうだ。写真では5両編成だが、3両はカットした。わたしは、乗ったことも見たこともない。  
富良野の丘陵地帯となると、遠くに十勝岳連峰の山々が連なり、近くにはラベンダーをはじめ七色の花畑が広がる風景が目に浮かぶ。背景はそんな思いを合体させたイメージの世界だ。  
下の写真は、2007年10月後半に、美瑛の丘から眺めた大雪山である。畑ではビートの取入れが始まり、木々は紅葉が始まっていた。山は既に冬の装いで白く輝いていた。やはり山には雪がある風景が似合う。  
 
 
士幌線の名を聞くと懐かしい。  
士幌線は、帯広から十勝平野を北上して、上士幌町の十勝三股に至る全長78.3kmの路線であるが、1987年3月23日に全線が廃止された。  
 
 
わたしは学生時代にニペソツ山を下りた帰りに、十勝三股の隣りの幌加駅から帯広駅まで、この列車に乗った思い出があるが、沿線の風景などのことは思い出せない。また、別の時に石狩岳を訪れているので、このときも十勝三股まで乗ったことがあるかもしれないが、どういう経路をとったのか思い出せない。東大雪(昔で云うと裏大雪)の山々、石狩岳、音更山、ニペソツ山などを訪れるときに欠かせない路線だっただろう。十勝三股という名前を聞くと、何ともいえない郷愁に誘われる。  
この路線には、多くの橋梁がかかっているが、一番有名なのはタウシュベツ川橋梁だろう。元々音更川の支流のタウシュベツ川に掛けられたアーチ橋であったが、1955年に糠平ダム建設に伴い、橋梁周辺が湖底に沈むことになった。その際士幌線は湖を避けて新線が建設されて切り替えられた。橋梁上の線路は撤去されたものの、橋梁自体は湖の中に残り、現在に至る。糠平湖は人造湖で季節や発電によって水位が劇的に変化するため、橋梁全体が水没してしまう時期もあれば、水位が低くなって橋梁全体が見渡せる時期もある。その様子から「幻の橋」とも呼ばれる。  
挿絵は、桜と釣りの名所泉翠峡という景勝地にかかる音更第3橋梁の写真と列車を合体させた。橋は、鉄筋コンクリート橋としては、北海道一の大きさを誇る32mの美しいアーチ橋で静かなダムの湖面に影を落としている。  
 
帯広から南に走るローカル線、広尾線も懐かしい。  
広尾線沿線と云えば、遠くに日高山脈の連なりがあり、近景は広大な十勝の畑や牧場とその周りを取り囲むカラマツやシラカバなどの防風林の風景が目に浮かぶ。  
そんなイメージを絵にしてみた。  
 
 
帯広の郊外、中札内村に相原求一朗(あいはら きゅういちろう)の美術館はある。  
六花亭の社長・小田豊が、相原求一朗の絵に惚れ込んで、1996年に、帯広で最も古い歴史的建造物の旧大正湯を中札内に移築して、美術館にした。  
昭和62年(1987年)1月31日、68歳の時に相原求一朗は帯広の幸福駅を訪れた。この日は、旧国鉄広尾線の廃止される前日であった。  
「広尾線が廃止になるというニュースを聞いて、来るものがきたという感慨と、時の流れに消えてゆくものの愛惜の情が交錯して私の胸にこたえた。広尾線もかつては蒸気機関車が黒煙を吐きながら豪快に走り、地元の人たちは、この鉄道を愛し感謝して、乗客が多かった。私は明日で閉鎖になる沿線の小さな駅を、一つ一つ思いを込めて巡った。チラチラと細かな雪が降ってきて、スケッチする私の肩にも白く積もった。ふと見ると国鉄の職員が3人、厚い防寒服に身を固めて、手にハンマーを持ち、黙々と線路の点検を始めた。明日、最終日の無事故を願っての最後の作業であろう。間もなく3人の姿は吹雪の中に見えなくなったが、断続的に聞こえてくるハンマーのにぶい金属音は、広尾線の終わりを告げるのにふさわしい最終楽章の響きに思えて、私はしばらくスケッチブックの手を休めて、耳をすまして立ち尽くしていた。」  
このときの光景を描き上げた「幸福駅2月1日」には、雪原とどんよりした雪空、黒ずんだカラマツの防風林、線路のかなたから聞こえてきそうなハンマーの音、静寂の中にかすかに残る人のぬくもり、幸福駅の景観を描きながら、まさに北海道の風景を凝縮したようなものが表現されていた。  
美術雑誌に載ったこの絵を見た六花亭社長の小田豊は感動して、以来二人は親交をあたためて「北の十名山」の制作へとつながっていった。  
 
石北本線の中愛別と愛山の間を走る列車。  
 
 
背景の山は旭岳から比布岳、愛別岳だろうか。  
石北本線は旭川から北見を経由して網走とを結ぶ路線である。当初、札幌方面と北見を結ぶルートは、札幌駅―旭川駅―富良野駅―池田駅―北見駅のルートであったが、旭川から北見峠を越えて遠軽を結ぶルートが1932年(昭和7年)に完成したことによって、旭川から北見・網走方面を結ぶ最短経路の鉄道が開通した。  
白滝ジオパークの駅、白滝や丸瀬布もこの路線にある。  
 
根室本線の山部駅というと、芦別岳の麓の駅である。  
山部という名前を聞くと父のことを思い出す。わたしの父は林業機械の仕事に従事していて、昭和20年代後半から30年代にかけて国有林の多い北海道によく出張で来ていた。  
小学生の頃に、晩酌をする父から聞いたのは、山部という駅前で友人と楽しく飲んだ思い出話であった。旅の途上で北海道の友人と意気投合して楽しかった思い出が山部にあるようだ。  
 
後年芦別岳に登るときに山部駅で降りてユーフレ小屋に向かい、ここで一泊して、翌日北尾根を登って山頂まで行った。11月3日の天気の良い日で、北尾根は雪がけっこうあった思い出がある。  
もう一回は同期の友達と3人で、初夏くらいだろうか、登った記憶がある。帰りは途中滝川あたりで急行に乗り換えた記憶がある。急行の席はまばらに空いていたので、3人それぞれに別の場所に座った。わたしは運よく、美人スチュワーデスさんと同席になり、彼女の妹さんがワンゲルで山登りをやっていることなど話を聞いた。札幌までの車中を、得したような気持になった思い出。  
 
伊達に来てからは車での移動になったが、占冠(しむかっぷ)から富良野の方に走っているときに、木々の間に残雪の芦別岳を見たときは懐かしかった。2007年6月占冠方面から撮影。  
 
 
根室本線の新得と十勝清水を走る貨物列車である。  
狩勝トンネルを抜けて十勝平原の入り口が新得や十勝清水になる。  
学生時代も新得側からヌプントムラの大雪山に入っていったことがあった。社会人の時に会社の仲間と夏休みを利用して、トムラウシ山に登る計画をした。新得の屈足(くったり)温泉に泊まって、トムラウシ温泉から登山する予定だったが、あいにく2日間雨に降られて、屈足温泉に足止めになった苦い思い出もある。  
 
 
DF200形は北海道を中心とする非電化幹線での貨物列車の高速化を効率的に行い、DD51形の置き換えを図るためにJR貨物が開発した電気式ディーゼル機関車である。1992年3月に試作車DF200-901号機が製造された。車体は20m級の箱型で、機関はドイツMTU社製を搭載、高速輸送に対応できる構造になっている。2003年3月の増備車からはエンジンが国産のものに交換され、番台区分を50番台とした。  
 
最後はふるさと銀河線の薫別(くんべつ)―陸別間を走る列車である。  
かつての十勝の池田駅と北見駅を結ぶ池北線(ちほくせん)が廃線になった後、1989年6月4日に北海道ちほく高原鉄道に転換され、路線名もふるさと銀河線に改称された。当時は、団塊ジュニア世代がちょうど高校生くらいの年齢で通学生が今よりはるかに多く、またバブル期で金利が高く経営安定基金の運用益で赤字補てんの目途が立ったことなどが、第3セクター化に大きく影響した。その後、少子化、過疎化、公共事業削減、ゼロ金利政策などで、経営が行き詰まり2006年4月21日に廃止に至った。第3セクター路線としては、140kmと最長の営業距離を持つ路線であった。  
 
 
陸別開拓の祖である関寛斎が陸別に入った明治35年(1902年)には、この地は人跡未踏の地で鉄道などはもちろんなかった。寛斎は妻あいの死後、陸別での開拓も進んできた明治41年(1908年)に東京に出てきた時に、徳富蘆花に会ってトルストイの話などを聞く。  
関寛斎と徳富蘆花との交流は、寛斎が亡くなるまで続いた。蘆花はだんだん寛斎の人物に魅かれ、やがて明治43年(1910年)に婦人や子供を伴い陸別に寛斎を訪ねる旅に出かける。9月24日に陸別に着くが、その2日前に網走線が陸別まで開通したと書いている。開拓に入って10年は経っていないが鉄路が通る時代に変わって来ていた。この頃の北海道の鉄道の敷設は急速に進んでいたことがうかがえる。  
 
ことしの8月、北海道の列車の写真集に接して、毎日1枚のペースで描いていった。もちろんかつての廃止路線を含めての北海道の列車たちは、もっとたくさんあるのだが、その一部を描いてみた。思えば、北海道というこの広大な面積の中を多くの路線が走って、人々の生活や産業・物流を支えていた。時代の趨勢で地方過疎地区の路線からだんだんと廃線になっていった。冬の寒さや雪の厳しい環境下で広大な路線を維持してくれた北海道の鉄道に感謝したい。  
 
◆参考資料  
・「鉄道アルバム 北海道の列車」写真集 朝倉政雄著・撮影 北海道新聞社  
 の写真を参考に絵を起こした。一部、列車や背景を変えた。貨物列車の文を引用。  
・相原求一朗の項 続々「ほっかいどう百年物語」STVラジオ編 中西出版  
・Wikipedia 「石北本線」、「ふるさと銀河線」  
(2018-11-8記) 
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プロフィール
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2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
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