伊達市地域生活情報マガジン『むしゃなび』へ ブログ★むしゃなび トップへ [今日:1] [昨日:0] [73] rss feed
[2017.12.02]
■銀の滴降る降る
「銀の滴(しずく)降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」で始まる知里幸恵(ちりゆきえ)編訳の「アイヌ神謡集(しんようしゅう)」は、あまりにも有名である。  
岩波文庫創刊90年の記念アンケートで、「わたしの好きな岩波文庫90」にも選ばれた。  
岩波文庫のこの本の紹介を借りると、  
*詩才を惜しまれながらわずか19歳で世を去った知里幸恵。このアイヌの一少女が、アイヌ民族のあいだで口伝えに謡い継がれたユーカラの中から神謡13篇を選び、ローマ字で音を起こし、それに平易で洗練された日本語訳を付して編んだのが本書である。*  



先日、伊達市民カレッジの場で、知里幸恵に関する  
お話を聞く機会があった。  
講師は、金崎重彌氏(知里幸恵 銀のしずく記念館  
館長)である。わたしは、知里幸恵の名前程度しか知らなかったので、この講演でいろいろなことを教わった。その後、岩波文庫の「アイヌ神謡集」をもとめて、少しながめ始めたところである。  
金崎さんもおっしゃっていたが、序文が素晴らしい。  
 
*その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。  
冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って、天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて熊を狩り、夏の海には涼風泳ぐみどりの波、白い鷗の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り、花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて、永久に囀る小鳥と共に歌い暮して蕗とり蓬(よもぎ)摘み、紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて、宵まで鮭とる篝(かがり)も消え、谷間に友呼ぶ鹿の音を外に、円かな月に夢を結ぶ。嗚呼なんという楽しい生活でしょう。平和の境、それも今は昔、夢は破れて幾十年、この地は急速な変転をなし、山野は村に、村は町にと次第々々に開けて行く。  
太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて、野辺に山辺に嬉々として暮らしていた多くの民の行方も亦いずこ。僅かに残る私たち同族は、進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり。しかもその眼からは一挙一動宗教的観念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて、不安に充ち不平に燃え、鈍りくらんで行手も見わかず、よその御慈悲にすがらねばならぬ、あさましい姿、おお亡びゆくもの・・・・・それは今の私たちの名、なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう。  
(中略)  
けれど・・・・・愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います。  
アイヌに生まれアイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇ある毎に打集まって私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書連ねました。  
私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば、私は、私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び、無上の幸福に存じます。  
 大正11年3月1日  
知里幸恵 *  
 
アイヌ神謡集の第一章は、  
梟(ふくろう)の神の自ら歌った謡 「銀の滴降る降るまわりに」  
シロカニペ ランラン ピシカン Shirokanipe ranran pishkan  
コンカニぺ ランラン ピシカン konkanipe ranran pishkan  
「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という歌を歌いながら、“私”と称する梟の神様が人間の村の上を飛んでいく。  
というアイヌ語の訳出で、この叙事詩は始まる。  
何というきれいな言葉であろう。アイヌ語を適切にまた美しく訳している感性が素晴らしい。梟の神様は、貧しい子供の放つ矢をとらまえて、子供につかまり、子供の家におもむく。家の親たちはびっくりして神さまを敬うと、神さまは家に宝物を授ける。  
以下、キツネやうさぎ、カエルなど自然の神々が歌う物語が続く。自然界から人間が受ける恵みや、自然の万物に宿る神々の気持ちや、ときに冷厳に、ときに慈愛に満ちた事柄がつづられている。  
 
知里幸恵は明治36年(1903)、温泉地として有名な登別に生まれる。当時の登別はまだ寒村で、人口二千五百人で、そのうちアイヌ民族は二百数十人だった。知里家は農業と牧畜を生業にし、また母と母の姉であるマツはキリスト教を信仰していた。家のすぐそばに、ヌプルペツと呼んだきれいな小川があり、家の後ろの丘からは、広い太平洋を望む自然豊かな場所で育った。彼女が小学校に入る少し前に、父が窃盗の疑いで逮捕され、働き手をなくした家は生活が苦しくなり、長女の幸恵は、伯母のマツが住む旭川に預けられることになった。この旭川の家には祖母モナシノウクも一緒に住んでいて、このことが彼女の人生の大きな転機となる。  
小学校、女子職業学校に進んだ幸恵は、成績が優秀であったが、アイヌ民族の子がという妬み、そねみが周りにあり、クラスの中で目立つほど攻撃の対象にされた。また学校までの6kmの道のりは、だんだんと彼女の健康を損ねていった。  
こうした中、金田一京助博士との出会いが彼女にとって大きな転機となる。  
金田一京助は、言語学者としてアイヌ語の研究を始めてから10年、ようやくその業績が世に認められてきた頃であった。  
大正7年の夏、金田一は、幸恵の伯母マツを訪ねて旭川に来た。マツの母モナシノウクからユーカラを聞くためであった。モナシノウクは、後に金田一が「アイヌの最後の最大の叙事詩人」と絶賛した素晴らしい暗唱力を持つ女性だった。  
金田一は、その晩マツの家に一泊する。翌日、金田一に心打ち解けてきた幸恵は、女学校での作文を彼に見せた。彼女の日本語で書かれた文章は美しく、また彼女が古語で歌われる長編のユーカラを暗唱していることも知り、目を見張った。  
このときの幸恵と金田一のやりとりを、「ほっかいどう百年物語」(STVラジオ編、中西出版)から引用させていただくと、  
*日本人の学者が遠くからわざわざユーカラを聞きに来たのを不思議に思い、別れの時に、  
「わたしたちのユーカラのどこに、そんな値打ちがあるのですか」  
と目をまるくして質問した幸恵に対して、金田一は熱っぽく答えた。  
「だって幸恵さん、考えてごらん。あなた方はアイヌ、アイヌとひとくちに、まるで人間扱いもされず、侮辱をひたすら我慢している。しかしユーカラは、あなた方の祖先が長い間口伝えに伝えてきた叙事詩だ。叙事詩というものは、民族の歴史であると同時に、大切な文学なんだ。アイヌ民族は文字を持たない。今の世に、文字ではなく音で叙事詩の姿をそのまま伝えている例は、世界にユーカラの他ない。だから今我々がこれを書きつけないと、あとでは見ることも知ることもできない、貴重なあなた方の生活なんだ。だから私は全財産を費やしても、全精力を注いでも惜しいとは思わない」  
幸恵はこの金田一の言葉で、ユーカラの素晴らしさを改めて感じ、大きな目に涙をいっぱい浮べながら言った。  
「先生、初めて分かりました。私達は今までアイヌのことといったら、何もかも恥ずかしいことのようにばかり思っていました。そういう貴重なものを、アイヌには縁もゆかりもない先生が、そのように思ってくださいますのに、その中に生まれた私達は、なんと愚かだったことでしょう。たった今目が覚めました。これを機会に決心します。私も生涯を、祖先が残してくれたユーカラの研究に捧げます」*  
幸恵は、この後伯母からローマ字を習って、アイヌ語の音を表記して日本語訳を考えていく。アイヌ語を文字にするのに、日本の文字では正確に表記するのが難しいため、ローマ字表記を考えたようだ。金田一から贈られたノートに、祖母から聞くユーカラを書き留めて、東京の彼のところに数回送る交流が続く。金田一は、彼女のローマ字表記と日本語訳のみごとさ、美しさに感嘆した。金田一はこの草稿を何とか出版したく、大正11年に幸恵を東京の彼の家に招く。幸恵は、原稿の整理、校正を行っていたが、最後のまとめをした後に容態が急変して、金田一家の人々に見守られながら帰らぬ人となった。享年19。「アイヌ神謡集」は、翌年大正12年に出版された。  
 
 
金崎氏の講演の話に戻ると、  
「2017年に『知里幸恵像』の絵が登別の幸恵の故郷に帰った」というエピソード。  
芸術院会員の日本画家・能島和明さんが『知里幸恵像』を描き、寄贈した。能島さんは、  
「アイヌとは『人間らしくある人間』と知った。その美しい詩は現代人にとって必要な心、人間らしく生きようとするたいまつではないか」  
と幸恵像に込めた思いを語った。そして、  
「一生懸命描いた絵に幸恵さんの清らかな魂をのせ、懐かしく恋しい故郷に帰ってもらいたかった」と話した。  
幸恵は大正11年(1922)9月14日、神謡集の校正を終えて両親に手紙を書いた。  
「おひざもとへかへります。一生を登別でくらしたい」  
だがその4日後に心臓まひで急逝した。「銀のしずく記念館」の金崎重彌館長は、  
「作品を通じて登別に戻る思いを遂げることができ、ありがたい」と話している。  
知里幸恵という人が書いた「アイヌ神謡集」という物語を読み、それに感動した画家の方が、彼女の絵を描いた。100年近い年月を経て、その絵の知里幸恵が登別に戻った。人は長い年月を経ても、気持ちを通じ合えることができる。  
◆参考資料  
・金崎重彌氏講演資料(2017年9月3日講演)  
・「アイヌ神謡集」知里幸恵編訳 岩波文庫  
・「ほっかいどう百年物語」STVラジオ編 中西出版  
・朝日新聞「知里幸恵 絵で切望の帰郷」2017年4月15日 道内版  
(2017-11-20記) 
▼トラックバック(0)
このエントリへのトラックバックURL:
現在トラックバックの受信を停止中です
▼コメント(0)

▼コメントを書く...
*必須入力です
 「コメント」欄は日本語で記入してください。
 英字数字のみだと、コメントと見なさず投稿できません。
※コメントは承認後に掲載されます。
*お名前:
メール:
URL:
*コメント:
プロフィール
mimi_hokkaido
mimi_hokkaido
2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
好きなもの 
・散策 
・山行 
・サッカー 
・お酒 
・「坂の上の雲」 
洞爺湖有珠火山マイスターに認定されました。 
下記リンクものぞいてください  
ブログ検索