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[2017.02.01]
■南チロル考古学博物館
今回訪れたサン・ピエトロ村から車で1時間くらいのところに、この地域でも大きな都市であるボルツァーノ市がある。ここは古より、イタリアからチロル、南ドイツに向かうときに通る要衝の地である。ボルツァーノの街並みは古い石造りの建物が多く、町中は観光客が行きかう姿が目立つ。この町にある南チロル考古学博物館には、1991年にチロル山中の氷河の中から発見された“エッツィ”(アイスマン)が眠っている。 



“エッツィ”(アイスマン)は、いまから約5300年前に亡くなった人類で、その身体と周囲にあった遺物から、遠い昔の多くの事実が解明されてきている。 
チロルの峡谷の一つであるエッツタールで発見されたところから、この人類は愛称“エッツィ”と呼ばれている。 
1991年9月19日、ドイツ人観光客のジーモン夫妻は、エッツタールアルプスの中で2番目に高いフィネイルピークに登った後、下りは地図上にはない道を通ってシミラウン氷河を横切り、山小屋へ向かった。その途中、標高3200m、イタリアーオーストリア国境近くで“人間”を発見した。半身は氷河の中に閉じ込められていたが、上半身はプールから出てくるみたいに溶けた氷の上に出ていた。後頭部に小さな穴が見受けられたので、殺人事件かとも思い、山小屋に届け出た。駆けつけた山小屋の管理人マルクス・ピルボアは、この“人間”を見たとき、氷河から発見されるいつもの死体とはあまりにも違うと思った。アルプスでは過去にも多くの遭難者があり、時々発見される遺体は、氷河の岩や石の上で引きずられ押しつぶされ、ひどい状態のものが多いが、この“人間”は、驚くほど完全な姿だった。連絡を受けたイタリア警察は、この夏すでに8人の遭難者を救出していて、このような事件について当初無関心であった。翌9月20日に現場に到着したオーストリア警察も、その時にはこの“人間”に特別な意味を見出せなかった。が、この“人間”のそばには奇妙な荷物が埋まっていた。木製の柄に小さな石製の刃がついたもの。かなり古い時代の用具であることをうかがわせた。インスブルック大学法医学研究所長のライナー・ヘンは、初めにその“人間”の調査を開始した人だが、調べるほどに、これは先史学研究所のコンラート・シュピンドラー教授の領域に関わると感じ、彼を呼んだ。 
コンラート・シュピンドラー教授が、初めてこの“人間”に会ったとき、 
「わたしは、まるでツタンカーメンのひつぎを開け、ファラオの黄金の顔を見たハワード・カーターのような気分でした。初めて、それを見たときから、この男と、男の所持品について大いに時間をかけて研究したいと思いました。これは今世紀最大のおどろくべき考古学上の発見の一つです。」 
彼は、その後の“エッツィ”プロジェクトのリーダーとなり、多くの事実を解明していく。 
“エッツィ”の身体は、茶色く固く乾ききっており、水分が完全に抜けた身体は13kgであった。 
おそらく“エッツィ”の倒れていた場所が大きな岩と岩との間で、そこに雪が降り積もり、柔らかな雪の間を風が吹きぬけ、死体の水分をさらってミイラ化していったのだろう。氷河に流され削られなかったのも、大きな岩のくぼみが助けたのだろう。 
“エッツィ”の亡くなった年代を判定するために、骨の一部を採取して、炭素14の残存量から推定すると、5300年前と分かった。この死亡推定年代は彼の持ち物を同様の手法で測定した時にも同じ年代が出て、裏付けられた。 
年代推定には一つ疑問もあった。彼の持ち物の一つである手斧の先には、青銅と思しき金属がついていて、考古学者は青銅が開発された年代から当初紀元前2000年頃とも推定した。しかし後にこの金属を精密に測定したところスズはまったく含まれておらず、純度 
99.7%の銅であることが分かった。銅であるならば青銅よりも以前に開発されているから、青銅器文明より以前の紀元前3300年頃という年代推定には、矛盾がなくなった。 
古びた銅と青銅は見た目では区別がつかなかった。 
紀元前3300年という年代の前後の人類の歴史を眺めてみると、 
紀元前35000年 クロマニヨン人の登場。洞窟壁画。 
紀元前8000年 農耕、牧畜が始まる。 
紀元前4000年 銅の発見。装飾品を作る。 
紀元前3500年 シュメール人、最初の文字「楔形文字」を粘土板に記す。車輪の発明。 
紀元前3300年 “エッツィ”アイスマン、アルプス山中で遭難。 
紀元前2800年 エジプトで最初の暦が作られる。 
紀元前2686年 エジプト第3代王朝のファラオ、ジョセルが階段式の最初のピラミッドの 
建設を始める。 
紀元前1500年 アルファベットが使われ始める。 
紀元前1000年 鉄の発明、鉄器時代の到来。 
紀元前776年 ギリシャで第1回オリンピックが開催。 
紀元前753年 ローマ建設。 
紀元前215年 中国で万里の長城の建設が始まる。・・・・・・・・・・ 
という具合で、“エッツィ”が遭難した年代の人類のことが分かる資料は、稀有なものである。そういう年代の証人のごとき“エッツィ”の身体と彼が保持していたたくさんの遺品、石製の短剣、皮製コート、草を編んだケープ、皮製の靴、毛皮の帽子、樹皮製のかご、作りかけのイチイ製の弓、L字形の手斧・・・などなどを詳細に調べると、彼の生きた年代の生活や文化が分かってくる。この研究はいまも続けられている。今後もこの研究により、今から5000年以上昔の人類についての様々なことが分かってくるだろう。 
“エッツィ”が山中で発見されたとき、初めはオーストリア領側の場所と思われ、オーストリアのインスブルック大学を中心とするメンバーが調査・研究にあたった。しかし、その後発見場所を詳細に検証した結果、わずか数十mであるがイタリア領側に入っていたことが判明した。そのため“エッツィ”の身体は現在では、イタリア・ボルツァーノ市にある南チロル考古学博物館(ボルツァーノ県立考古学博物館)に収納され、彼の持ち物などが一般公開されている。 
ボルツァーノ市は、いい贈り物を受けたことになり、多くの観光客が“エッツィ”見たさも手伝って、この町を訪れるようになった。 
ボルツァーノの歴史を簡単に振り返る。 
紀元前15年にローマ軍がこの地域を征服して居住地を建てたあたりから歴史に登場する。中世には市場町として栄えて、ベネツィアと南ドイツのアウクスブルクとを結ぶ交易路上の重要な場所となる。 
1806年に神聖ローマ帝国が解体されると、ボルツァーノはナポレオンのイタリア王国の一部となり、さらにウイーン会議の結果、オーストリア帝国内のチロル伯領に戻った。チロル伯領は現代の南チロル、オーストリアのチロル・東チロルをカバーしていた。第一次世界大戦の結果、ドイツ、オーストリア、ハンガリーは敗れ、1919年に南チロルはイタリアに割譲されることになった。イタリアへ併合当時、ボルツァーノに暮らす人々の大多数はドイツ語話者であった。その後、第二次世界大戦の頃は、ムッソリーニやヒトラーにより、この地域を巡る駆け引きに翻弄された。 
第二次世界大戦後、ボルツァーノおよび南チロルのドイツ系住民の間では独立運動の機運が高まった。1960年代には、ドイツ系住民の分離主義過激派「南チロル解放委員会」による、イタリア警察・官吏やインフラへのテロ攻撃や暗殺が相次いだ。国連はイタリア政府との交渉に乗り出し、11年におよぶ交渉の結果、南チロルに相当の自治権を付与することでオーストリアとイタリアの間で合意に達した。 
1996年、欧州連合(EU)のユーロリージョン「チロル=南チロル=トレンティーノ」が設立され、イタリアの南チロルとトレント自治県(ヴェルシュチロル)、オーストリアのチロル州との国境を越えた協力関係がより盛んになった。 
とある。古来チロルアルプスをはさんで、南ドイツとイタリアを結ぶ交通の要衝に位置したボルツァーノは、それによる繁栄と政争に巻き込まれる歴史をつづってきたといえる。 
 
サン・ピエトロでの3日目の午前中は、ドロミテ山塊の近くまでハイキングに出かけて、巨大な峰の林立する根っこの部分を見てきた。急な峰々からは崩落が激しいのだろう。峰の麓部分には、たくさんの崩落物が堆積して明るいグレーの急角度の三角州のような形状を成していた。途中から雨のまじる日であったが、トレッキングをする人々は多かった。ちょうど花のシーズンなのだろう。遊歩道の周りや下の沢沿いには色とりどりのたくさんの花々が咲いていた。サクラソウ、リンドウ、エゾノリュウキンカのような黄色の花、シャクナゲ、白い菊科の花、その他わたしは名前が分からないが、ピンクや黄色の花々が多かった。帰り道は雨の中を歩いて、麓のレストランでお茶をした。一旦宿に戻り、この日の午後40kmくらい離れたボルツァーノの町にアイスマンを見るドライブに出かけた。途中から自動車専用道路(アウトシュトラーゼ)に乗ると、山の上に続くぶどう畑と山の上の城などの風景が望めた。ボルツァーノの町は南チロルの中心の町らしく古く、美しい町並みであると思った。 
それにしても、アイスマンの発見は偶然であった。あの日ジーモン夫妻が地図にない道を偶然にも通ったことにより、また氷河が適度に溶けてアイスマンの上半身が出ていることで発見に至った。発見まで5300年の間雪の中に眠っていた人。これからも“この人”の研究が進むと、“この人”が生きていた遠い昔の人類の生活や文化などがもっともっと解明されてくるだろう。 
 
◆参考資料など 
・「アイスマン 5000年前からきた男」デイビット・ゲッツ著、赤澤威 訳、 
 金の星社 1997年刊 
サン・ピエトロ村とボルツァーノの町を訪れたのは、2016年6月後半である。 
 
(2016-12-17記) 
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2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
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