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[2014.06.21]
■ブータンのこと
けさ(6月18日)のNHKニュースを視ているとブータンで活躍した日本人農業指導者の話が紹介されていた。 



ヒマラヤのブータンで「農業の父」として尊敬を集め、1992年に死去した農業指導者西岡京治(にしおか けいじ)さんの功績をたたえる記念館が、西部パロの国立農業機械化センター内に完成し、17日に記念式典が開かれた。 
集まったブータン人らは「西岡さんは農業の神様」と語り、「幸せの国」の発展に貢献した日本人の活躍を振り返った。 
西岡さんは1964年から28年間、ブータンの山間部で米や野菜の生産方法や耕耘機の使い方などを指導した。これにより、ブータンでは、大根やアスパラガスの栽培や、苗を一定間隔で植える方法が普及し、収穫で利益を得られる農業が広まった。 
西岡さんは1980年、外国人としては初めて、国王から「ダショー」の最高級称号を与えられ、教科書にも登場し、ブータン国民に広く知られる。 
(以上YOMIURI ONLINEニュースより) 
西岡京治は、1933年(昭和8年)2月14日、日本統治時代の朝鮮の京城(現・ソウル)で、解剖学者の西岡辰蔵・利恵夫妻の長男として生まれる。 
1945年の第2次世界大戦後、日本に帰国して大阪市八尾市に移住する。 
やがて大阪府立大学農学部に進学、その後大学院農学研究科に進み、中尾佐助に師事する。大阪市立大学大学院理学研究科研究生として川喜田二郎の薫陶を受ける。 
1958年、川喜田を隊長とする大阪市立大学西北ネパール学術調査隊に参加し、このとき、二条大麦および六条大麦の野生種を発見する。この発見は、大麦栽培史の空白部分を補完する重要な学術業績となった。 
1964年、ブータンに、海外技術協力事業団(現・JICA 国際協力機構)のコロンボ・プランの農業指導者として夫人と共に赴任。赴任当初はインド人が大半を占める農業局から冷たい歓待を受け、試験農場すらまともに用意されなかったという。そのような中、28年間にわたって日本から導入した野菜の栽培および品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力する。西岡の振興策は援助側の一方的な施策の押しつけではなく現地の実情に即した漸進的なものであった。このため、成果の確実性と定着性において他に例を見ないほどの成功を収め、農法にとどまらず産業・生活の基盤改善に大きく寄与した。 
1980年、ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から「国の恩人」として、民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」を授かり、同国において唯一にして史上初の外国人受爵者となった。 
1992年3月21日、帰国直前に敗血症に罹り、ブータンにて死去。享年59歳。 
3月26日、ブータン王室、ブータン政府によって国葬が執り行われ、遺体は夫人の意向に従い、パロ盆地が見渡せる丘に眠る。 
(以上Wikipedia 西岡京治の項より) 
 
6月初旬に、会社時代の同期の集まりが石巻であり、参加した。 
同期の一人が石巻出身で、入社8年目で早期退社し、以後家業を継いだ。その後石巻駅前でビジネスホテルを開業していたとき、3年前の東日本大震災の津波の被害を受けた。一階部分に土砂が押し寄せる被害を受けたがその後復興した。 
そんなことがあったので、今回の同期会は石巻で集まろうということになり、10人が久しぶりに会って旧交を温めた。 
翌日石巻の彼の案内で、大きな被害を受けた地区を案内してもらう。 
日和山公園からは、北上川にかかる大きな橋が遠望された。高さ18mの橋を超える津波が押し寄せたそうだ。おそらく20m以上の波高であっただろう。公園の下にあったお寺さんの墓地の墓石も根こそぎ倒された。彼の家のお墓もそこにあり墓石が倒れ、後日修理にかかった。珍しい石で加工に技術がいるそうだ。山形の石屋さんが、是非やらしてくれと名のり出てくれて、相場よりもかなり安い価格で仕事をしてくれたそうだ。被災地の応援の一つの形かと思った。 
大川小学校の被災跡も見た。校庭のすぐ隣から山が始まっている。この山に這い登れば、助かっただろうと感じてしまう。下の方に枯れた木があったが、その辺りまでは津波が押し寄せたのだろう。急な山ではあるが、その上に這い登っていれば、誰かが逃げようと云って登っていれば、と思ってしまう。 
大川小学校からは土手によって北上川は直接見えない。震災のときも遡行する津波は土手によって見えなかったそうだ。大川小学校の少し上流に、農業用水の取水堰があり、この水門の辺りからあふれた濁流が小学校を襲ったそうだ。海側からではなく山側から津波が来たことになったそうだ。 
 
最後に「将の資格」と題する文章を引用させていただく。(出典 「至知」ネット配信20130128) 
 
昨年十一月(2011年11月)、ブータンのワンチュク国王が結婚したばかりの王妃とともに来日、被災地相馬市の小学校を訪れ、子供たちを激励した。 
その折の言葉がいまも胸に響いている。 
国王は、ブータンの国旗には竜が描かれているが、自分は竜を見たことがあると切り出した。驚く子供たちに、国王は続けた。 
「竜は私たち一人ひとりの中にいる。竜は自分の経験を食べて大きくなる。年を重ねれば   強くなる。自分の竜を大事にしなければね」 
短い言葉。 
だが、子供たちの心に残したものは大きかったに違いない。 
 
国王はその前日に国会でも演説した。のちに内容を知り、感嘆した。 
その内容の深さに、である。 
「ブータン国民は日本に強い愛着を持っており、震災後の日本のために祈り続けています」 
「日本はアジアに自信と自覚と進むべき目標を示し、多くの国々に希望を与えてきました」 
「三月の自然災害への対応では、日本及び日本国民は素晴らしい資質を示されました。 
他国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でも、静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対応されました。 
文化、伝統的価値にしっかり根ざしたこのような卓越した資質の組み合わせは、現代の世界では他に見出せないものです。 
すべての国々がこれを熱望しますが、これは日本人特有の不可分の資質です。 
 
 
これらは数年あるいは数十年で失われるものではありません。そのような力を備えた日本から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう」 
 
当年三十二歳。 
将の将たる人の見識と品格が溢れている。 
(2014-6-18記) 
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▼コメント(1)
名前:蛾次郎  2014.06.22 04:28:43
いい話! 

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プロフィール
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2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
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