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[2016.10.10]
今回のチロル旅行では、初めにオーストリアのマイヤーホーフェン(Mayrhofen)という町を訪れた。(2016年6月下旬のことである)  
周辺で見た景色の印象は、「牧草地 天に至る」である。  
おそらく古来、谷の急斜面に生えている針葉樹を切り倒しては、根っこを抜いて、牧草地を切り拓いて来たに違いない。  



訪れた6月後半は、干し草作りの真っ最中で、谷の急斜面では刈り取った草を何人もの人々が人力でひっくり返して乾燥させ、乾燥した草を取り入れていた。ほとんどの場所では、斜面が急で機械を持ち込むことが出来ずに、人が急斜面に踏ん張ってこの作業をしていた。  
暑い最中の仕事であり、男の人は上半身は裸で、女の人はタンクトップ姿であった。  
斜面の下の方の傾斜の緩いところでは、ミニトラクターのような機械が、斜めになりながら干し草の取入れに働いていた場所もあった。  
夏の間牛たちはもっと高い場所にある緑の草をはんでいる。いま作っている干し草は、冬の間のエサとするためだろう。  
牧畜と林業を主体にした生活をずうっと続けてきたのだろう。19世紀に入って富裕層がこの土地を訪れるようになった。植物や岩石など調査する学者、山登りをするアルピニストなどがこの土地を訪れて、土地の人々にとってはただ険しいだけだと思っていた山岳風景が、都会生活をする者にとっては癒しとなる何とも素晴らしい景色であることを喧伝した。そうして徐々に観光客が訪れるようになったこの地は、ヤギや牛を飼う牧畜業と共に観光業にもシフトしていった。民宿やホテルを増やすために、周りの樹を切って町として、村としての面積を増していったのだろう。  
ハイキングに出かけたマイヤーホーフェンの隣村ともいうべきブラントベルグ村(Brandberg)では、ホテルや教会や民家、牧畜の納屋などが点在している。ここまで来ると、マイヤーホーフェンの喧騒がなくなり、家数も少なくなり、歩く人もまばらになり、牧歌的というかのどかな風景が広がっている。ホテルらしき大きな建物の向こうに槍ヶ岳のような尖った形の山がそびえる。かなり上の方まで針葉樹がある。そして針葉樹の合間に緑の牧草地や農家らしき建物が上の方まで点在している。急斜面を開拓していったことが感じられる。後で調べてみると、アホルン・シュピッツェ(Ahorn spitze)2973mという名の山だった。上の方は青い中に残雪の白がまじっていた。  
 
 
この槍ヶ岳のような山を背後にして、ゆっくり登っていくと道の脇のところどころに農家や牧舎がある。納屋の構造は、一階が冬の間牛たちの牧舎となり、2階部分に干し草を貯蔵しておき、2階の穴から1階の牧舎に落とす構造になっている。うまく斜面を利用して、2階には道路から直接入れるような作りになっていて、その下に1階が作られている。こげ茶色の古びた木材が使われている。納屋の外には、木材が立てかけられてもいたので、古い材料も有効に使おうとしている。  
マイヤーホーフェンはツィラータール(Zillertal)という谷間の中ほどにある、この地方の中心的な町である。ツィラータールは明るく開けた谷あいである。太古に氷河が削り取ってできた谷間であるが、狭隘ではない。広さは明るさであり、あまり谷間にいるという感じがしない。山が奥に行くに従い幾重にも重なり、最奥部の山は雪を頂いている。  
 
タールというのは「谷」ということで、チロルには「○○タール」と呼ばれる地名が縦横に走っている。そういえば昔、山で歌っていた「エンメンタール美わし」という歌がある。  
 われらが楽しきふるさとエンメンタール  
 かがやくいただき白銀(しろがね)の嶺  
 フディリアルイアイリアホ フディリアルイアイリアホ  
 フディリアルイアイリアホ フディリアルイアイホ  
「エンメンタール」はスイスにある谷間であるが、そこに故郷がある人が、「わがふるさとの景色は美しい」と歌ったものだったのだ。  
 
それぞれの谷は、急峻な尾根で仕切られているから、それぞれの谷の間の往来は難しかっただろう。ということは、それぞれの谷ごとに固有の文化や歴史を育んできたことだろう。  
どこの町、村に行っても必ず教会がある。中規模の町なら中くらいの、小さな村なら小さな教会がある。人々がその土地に住み始めると、自らの家を作るのと同時に村の共同の教会を作るのを始めたのではないだろうか。厳しい自然と闘いながら、やせた土地で生活していくとき、我が身の健康や家族の安全を祈りながら毎日を送ったのだろう。厚い信仰心がどんな小さな規模の場所にも、自分たちの寄る辺となる教会を作ったのだろう。また、村の道を歩いていると、ところどころに木製の小さな三角屋根の中にキリスト像を飾ったものが立っている。中には季節の花が飾られている。日本でいえば、村の辻にあるお地蔵さんのような感じを受けた。  
今回の旅では車で移動中にも、通り過ぎる町や村には必ず教会があり、尖った塔の建物が多かった。中規模の教会の内部に2回ほど入らせてもらったが、中はおごそかで美しい。天井画やステンドグラス、高い内部空間、きちんと並ぶイスなどが祈りの場であることを感じさせ、静謐感が漂う。  
チロルの旅での印象をキーワードで述べるならば、  
「牧草を作って天に至る」  
「信仰の力」  
ということが、一番に記憶に残る。  
 
ブラントベルグ村に着いて、ここから1時間くらい緩い登り道を歩いた。周りは牧草地や牧舎などが道沿いにある。ストックをつきながらゆっくり登る中高年の夫婦がいる。この辺りをハイキングする方は、ストックを持つ人が多い。終点の見晴らしの良いレストランからは、眼下にマイヤーホーフェンの町が小さく見える。家々が密集していっぱいある。  
マイヤーホーフェンの町はこの辺りでは大きな町であると思う。そこから奥に広がっていくトゥクサタールの谷間も上からだとはっきり分かる。  
 
 
パラグライダーが盛んな土地である。上空に鮮やかな赤や青色の円弧状に広がった機体がゆっくりとした動きで舞っている。風をとらえて私たちのいる高台のレストランよりも上空を優雅に舞っている。上空に上がれば、谷の奥の方に連なる3000m級の雪が残る峰々も  
はっきりと眺められるかもしれない。このような谷が深く切り込み、山が重畳するチロルの風景を鳥になって空から俯瞰するように飛ぶことができるとは、何ともうらやましいことだ。  
わたしたちも見晴らしの良いレストランでゆっくりと昼食をとった。まわりで食事する人々のペースもゆっくりだ。食事とおしゃべりと、中にはトランプをして談笑しながら過ごすグループもある。イタリアの若夫婦がおしゃぶりをくわえた赤ちゃんを背負子に背負って来た。女房は赤ちゃんを抱っこさせてもらう。赤ちゃんも知らないおばさんに抱っこされて少し緊張気味の表情を見せていた。  
ブラントベルグ村で過ごしたこの日は、青空が広がり、山々や谷間を眺めながらのゆっくりハイキングであった。この日目にした牧草刈りの風景、牧舎や納屋、教会や辻にある三握屋根の中のキリスト像などは、この地方の昔からのものだろう。ゆったりとした時間が流れ、ほっとするものが心に残ったと感じている。  
(2016-9-15記) 
[2016.09.27]
白滝ジオパークを訪れて、北海道に5つあるジオパークの関係者が一堂に会する交流会が催された。白滝ジオパークは遠軽町にある。遠軽町は道東のオホーツク沿岸から少し山側に入った町である。現在白滝地区、丸瀬布(まるせっぷ)地区がいっしょになり、日本で二番目に大きい町になった。  

[2016.09.09]
6月の後半にチロル地方の旅行に出かけた。  
旅行の最後はミュンヘンに出て一泊し、翌日ミュンヘンからフランクフルトへドイツ鉄道で移動して、フランクフルトから帰国した。  
ミュンヘンでは、一番の繁華街のマリエン広場の近くに宿をとったので、夕方近くの市庁舎を見物しながら、ビアホールに向かった。  

[2016.05.19]
伊達の近郊では、どこにでも丘に登ればいい景色に出会える。  
手前に丘の緑の原や木々が様々に縁取りを作っている。町が扇状地に広がっている。  
その向こうに青い海があり、海の向こうには青い山並が広がり、5月初旬の頃まではその青い山並の上に白い残雪が残る風景が広がる。  

[2016.04.22]
司馬遼太郎著「街道をゆく40――台湾紀行」を読んでいたら、清々しい日本人に出会った。 
台湾の不毛の大地を美田にしようと実行した人の話である。八田與一(はった よいち)という土木工学者である。 

[2016.03.29]
美瑛の丘に一本目立つポプラの木があった。丘の上に独立して、樹齢を重ねてきた木である。  
ここに来ると思わず丘と空を背景に写真に収めたくなる。  
この木が所有者の方の手で切り倒された。  

[2016.02.16]
かつて有珠の外輪山の中には森が広がっていて、銀沼という沼があり、牧草地があり、牛が放牧されていた。  

[2016.01.29]
冬の有珠の森は静かだ。  
木の葉が落ちた木々が立ち並び、遠くの方まで見通せる。  
中腹より下の方で、小鳥たちが飛ぶ姿を見かける。  

[2016.01.18]
有珠山の北側に四十三山(よそみやま)と呼ばれる地域がある。こんもりとした丘状の山でこの山頂からは洞爺湖や羊蹄山が望めるのだが、いまは木々が繁ってその間から望むことになる。 

[2015.12.15]
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で象潟(きさかた)を訪れたのは、元禄二年(1689)だった。芭蕉が来たこのときの象潟は、「東の松島 西の象潟」といわれる景勝の地であった。  
芭蕉はここで、  
象潟や雨に西施(せいし)が合歓(ねぶ)の花  
と詠んだ。  

プロフィール
mimi_hokkaido
mimi_hokkaido
2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
好きなもの 
・散策 
・山行 
・サッカー 
・お酒 
・「坂の上の雲」 
洞爺湖有珠火山マイスターに認定されました。 
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