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[2016.10.30]
田中舘秀三博士と三松正夫さんの交流を記したいと思う。  
といっても、三松正夫さんが書かれた「田中舘秀三博士への追悼文」からの引用である。  
これを読むと、明治噴火の直後に、向洞爺を訪れた田中舘博士の有珠山についての講演を聴いた三松さんは、心の中で“わたしは勝手に田中舘先生と師弟の契りを結び、火山を科学することを学ぼう”と決意されたようである。それからの永い間の田中舘先生との思い出が具体的に語られている。特に昭和新山生成期の“胆振線国有化への助言”、“警察署との丁々発止のやりとり”などに、田中舘先生の“硬骨漢”振りがよく表れている。  

[2016.04.22]
司馬遼太郎著「街道をゆく40――台湾紀行」を読んでいたら、清々しい日本人に出会った。 
台湾の不毛の大地を美田にしようと実行した人の話である。八田與一(はった よいち)という土木工学者である。 

[2015.12.15]
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で象潟(きさかた)を訪れたのは、元禄二年(1689)だった。芭蕉が来たこのときの象潟は、「東の松島 西の象潟」といわれる景勝の地であった。  
芭蕉はここで、  
象潟や雨に西施(せいし)が合歓(ねぶ)の花  
と詠んだ。  

[2015.10.27]
今年亡くなられた哲学者 鶴見俊輔氏に「思い出袋」(岩波新書)という著書がある。中に大山巌(おおやま いわお)について述べた一節があり、目に留まったので紹介させていただく。 

[2015.09.15]
ここ2年くらい昭和史のことを知りたくて、半藤一利さんの「幕末史」、「日露戦争史」、「昭和史」、保坂正康さんの「太平洋戦争を考えるヒント」などを読んでいる。  
なかなか自分の思いを整理するところまで行かないのだが、多くの歴史的事実や歴史の変曲点での道選びに示唆されることが多い。  
以下、読んだところで「そうだなあ!」と感じたところを引用させていただく。  

[2015.08.19]
わたしたちの年代の子供の頃は、外でいっぱい遊びましたね。  
わたしたちよりかなり先輩の小沢昭一は1929年(昭和4年)東京 蒲田の写真館に生まれる。当時の蒲田は東京の郊外で、新興地区として活気のある場所だったそうだ。  
小沢昭一著「散りぎわの花」文芸春秋社 の中に次のようなくだりがある。  
懐かしかったのでその一節を紹介させていただく。  

[2014.06.19]
いささか季節外れになってしまったが、以前3月後半に書いたエッセーを載せる。  
 
風呂上り、いただいたお酒を飲む。男山「御免酒」。  
ご近所の雪かきをしたお礼にいただいた。高齢の女の方一人なので、つい雪かきをお手伝いしたら、お礼にといただいた。ありがたく、いただく。  

[2013.12.26]
明治9年(1876年)3月、日本に到着した日の夜に、ミルンは初めて地震というものを体験した。大きな地震ではなかったが後に彼は「地震がまるで私を歓迎し、真剣な注意を払えと促しているようにみえた」と述懐している。 
それから数週間しないうちに、ミルンは、地震現象に 
強い関心を持っている人々を集め、精密な地震計の必要性を説いた。 
ミルンは、近代化を推進する明治政府に雇われた“お雇い外国人”の一人であった。 

[2013.11.05]
大正12年(1923年)9月1日午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。犠牲者10万人を超える日本の自然災害史上、空前の大惨事となった関東大震災である。  
今年は、この関東大震災から90年の節目に当たり、防災の番組も多かった。  

[2013.08.31]
前回に引き続いて“見える化”の話である。  
前回エッセーを書いている時に、友人から資料が送られて来た。  
「CHEER news 素粒子で地球を覗く」というレポートである。  

プロフィール
mimi_hokkaido
mimi_hokkaido
2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
好きなもの 
・散策 
・山行 
・サッカー 
・お酒 
・「坂の上の雲」 
洞爺湖有珠火山マイスターに認定されました。 
下記リンクものぞいてください  
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