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[2016.04.22]
司馬遼太郎著「街道をゆく40――台湾紀行」を読んでいたら、清々しい日本人に出会った。 
台湾の不毛の大地を美田にしようと実行した人の話である。八田與一(はった よいち)という土木工学者である。 

[2016.03.29]
美瑛の丘に一本目立つポプラの木があった。丘の上に独立して、樹齢を重ねてきた木である。  
ここに来ると思わず丘と空を背景に写真に収めたくなる。  
この木が所有者の方の手で切り倒された。  

[2016.02.16]
かつて有珠の外輪山の中には森が広がっていて、銀沼という沼があり、牧草地があり、牛が放牧されていた。  

[2016.01.18]
有珠山の北側に四十三山(よそみやま)と呼ばれる地域がある。こんもりとした丘状の山でこの山頂からは洞爺湖や羊蹄山が望めるのだが、いまは木々が繁ってその間から望むことになる。 

[2015.12.15]
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で象潟(きさかた)を訪れたのは、元禄二年(1689)だった。芭蕉が来たこのときの象潟は、「東の松島 西の象潟」といわれる景勝の地であった。  
芭蕉はここで、  
象潟や雨に西施(せいし)が合歓(ねぶ)の花  
と詠んだ。  

[2015.09.15]
ここ2年くらい昭和史のことを知りたくて、半藤一利さんの「幕末史」、「日露戦争史」、「昭和史」、保坂正康さんの「太平洋戦争を考えるヒント」などを読んでいる。  
なかなか自分の思いを整理するところまで行かないのだが、多くの歴史的事実や歴史の変曲点での道選びに示唆されることが多い。  
以下、読んだところで「そうだなあ!」と感じたところを引用させていただく。  

[2015.08.19]
わたしたちの年代の子供の頃は、外でいっぱい遊びましたね。  
わたしたちよりかなり先輩の小沢昭一は1929年(昭和4年)東京 蒲田の写真館に生まれる。当時の蒲田は東京の郊外で、新興地区として活気のある場所だったそうだ。  
小沢昭一著「散りぎわの花」文芸春秋社 の中に次のようなくだりがある。  
懐かしかったのでその一節を紹介させていただく。  

[2015.06.08]
英雄たちの選択 「もうひとつの明治維新〜敗者 伊達家北海道開拓の苦闘」  
(NHK BSプレミアムで2015年1月29日放送)という番組から、明治初年に始まった伊達武士団の北海道開拓をたどってみる。  

[2015.05.14]
福寿草が出て、水仙が出て、チューリップが出て、春が来た。  
春の初めに出てくるのは球根類が多い。  

[2015.04.14]
都立北園高等学校のときは、バスケットボール漬けであった。  
3年生の6月後半、インターハイの東京都予選3回戦で敗れるまでが現役の生活であった。その間、1年生で同期に入部した仲間は20数名いたが、3年生のとき同期は3名だった。練習がきついのもあったし、大学入試に向かってやめていったメンバーもいた。  
中学時代に少しバスケットボールに触れた程度で高校のクラブに入ったが、その練習量やハードさは断然違い、カルチャーショックであった。  

プロフィール
mimi_hokkaido
mimi_hokkaido
2007年に横浜から夫婦で移住。趣味は自然観察/山登り、そしてスケッチやエッセーを書く・・・ 
好きなもの 
・散策 
・山行 
・サッカー 
・お酒 
・「坂の上の雲」 
洞爺湖有珠火山マイスターに認定されました。 
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