■閻魔様に会いに行く
朝いつものようにパソコンを開いたら、中央区役所からメールが届いていた。「本日は暑さ指数が厳重警戒以上と予測されます。炎天下の活動は控え、こまめな水分補給、休憩を心掛けて下さい」。
最近の官庁はお節介だ。昔と違って体調管理も自己責任ではなくなったのも、なんでもクレームを付ける人が増えたからかもしれない。
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せっかく区役所が注意をしてくれるのだから、この日は家にいることにした。朝刊の最後のページに、「地獄の教え」というイラスト付きのエッセイが出ていた。
その絵は総持寺の「十王図」で、閻魔様の裁きを描いている。
死者の国には10人の王様がいるそうで、その中の1人が閻魔様だそうだ。子供の頃に母親からか定かではないが、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるわよ!」と言われたような気がする。
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新聞のエッセイの一部分だけ紹介する。
【十王は冥界で死者の生前の行いの裁判をする十名の王で、人間の転生先を決定する。
閻魔王による裁判は公正である。閻魔王の部下たちは死者の生前の善行と悪行とをくまなく調査した書類を作成し、裁判の場に提出する】。
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【その書類とともに重要な役割を果たすのが、浄頗梨鏡である。この鏡には、まるで再現フィルムを見るかのように、死者の生前の行為が映し出されるという。
そこには男の姿が見いだされる。黒い肌の鬼につかまり、首枷をはめられた男は、現世において強盗犯だったことが判明した。この男は、もはや罪を逃れられない。素朴な絵柄ながら、なんとも恐ろしい】。
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新聞を読み終ったら、なにをするか考えた。
以前に私が仏像彫刻教室で教材として彫った「閻魔大王」を戸棚の奥から取り出してみた。
すらりとした阿弥陀如来像などと違い、あまり格好は良くない。
仏像ではないが、日本橋浜町公園で見掛けた「弁慶像」を彫ったものも出て来た。日比谷のゴジラも出て来た。
それらを手に取って、昔を懐かしんだ。
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次に写経をやってみた。
これは心を落ち着けないと、なかなか上手には書けない。
「写経でもやるか」では、心が定まっていないので、書いた字もナゲヤリの感じが出てしまう。
女房が習っている習字教室の先生が、土曜日に写経を浅草寺に納経するというので頼んだ。1年半ほど前に一緒に始めたのに、女房はもう遥か彼方に行ってしまった。
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次は読書である。
図書館から借りて来た3冊の中の1冊に「教誨師」という本がある。
教誨師という仕事は知っていたが、その言葉は知らなかった。
戦後半世紀にわたって教誨師を続け、死刑制度が持つ矛盾を一身に背負いながら生き切った僧侶の懊悩と生き様の話で、とても感銘を受けた。
偶然だが、この日は閻魔様、仏像彫刻、写経、読書「教誨師」と、「あの世」に関わる時間を過ごしたのだった。
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(おまけの話)
私の家の近くにも、有名な閻魔様がいる。
都バスの「亀戸駅行き」に乗り東京スカイツリー方面に向かうと、門前仲町の少し先の右側に閻魔様がいる。
そこは真言宗豊山派の寺院で法乗院賢法寺という名前である。
法乗院は覚誉僧正が開山となり、寛永6年(1629)深川富吉町に創建、寛永18年当地に移転したといわれている。
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以前に2度ばかり見たことがあるが、暑さを我慢してこの機会にまた見に行ってみた。都バスで「深川一丁目」で降りると、道路の反対側に立派な法乗院が見える。
本堂のお参りは省略し、左手の目的の「ゑんま堂」に行く。
「ゑんま堂」のガラス戸を開けると、日本一の大きさの閻魔様が座っている。
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閻魔様は全高3.5メートル、全幅4.5メートル、 重量は1.5トンもある。
誰もいない場所で赤ら顔の閻魔様に睨まれると、あまり良い気持ちにはならない。
私の死後に閻魔様に裁かれるとしたら、地獄に行くか、天国に行くか?
それほど悪いことをした覚えは無いので、多分、天国に行けるだろうと思っている。
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