■思い掛けないところで
『引退したら、先ず日本経済新聞を取るのを止めろ!』と言っていた私が、最近は日本経済新聞を読んでいる。 これには少し事情があるのだが、今回は伏せておく。
ある日の日本経済新聞の1面下段のエッセイ「春秋」に、思いもかけない人が登場していた。 その人の名前は「駱英・らくえい」さんという。
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彼は中国人で、私は2年前の夏に出会った。
ゴルフ場経営者のKさんの紹介で、Kさんは、『もの凄い金持ちだぞー。しかも有名な詩人だし、エベレストにも登った投資家だ』と言っていた。
その後、伊達市のお隣の壮瞥町役場の立派なホールで、日本を代表する詩人である谷川俊太郎さんと2人で日本語と中国語の詩の朗読会を開いた。
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私も見に行ったが、中国語の詩は分からなかったが、朗々と流れるような朗読に酔った覚えがある。
その駱英さんが「黄怒波」さんだとは知らなかった。
日本経済新聞では、「10本の指で10匹の蚤はつぶせない」という中国の諺を引き合いに出していて、「10本の指で15匹の蚤をつぶす男が黄怒波である」として取り上げていたから驚いたのである。
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黄怒波さんはアイスランドの広大な土地を買い占めようとして世界的に有名になったが、結局はアイスランド政府から断られた。
『そんなとてつもない男に会って、話をしたことがある』というだけで、私に箔が付いたような気になってしまったが、よく考えてみたら、あまり私の箔とは関係が無かったのである。
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(おまけの話)
伊達市に縁が出来て、思いがけず色々な人に出会った。
元慶応大学経済学部の教授で、経済評論家の島田晴雄さん。
ゴルフはあまり上手でないが、気配りの名人である。
出版社のS社長とは、ひょんな縁から『社長の幸せな辞め方』という本に登場させてもらい、名古屋と東京での講演会の講師を頼まれて、かなりの額の礼金を頂いた。
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イコロ農園では、偶然にも引退前の同業者の社長に会った。
47年前のニューヨーク時代の仲間で、上場会社の会長になっているK女史にも偶然に出会った。
プロゴルファーの桑原克典選手とその家族とも出会った。
彼らと一緒に来ていたYさんの子供達とは、今では外孫関係となっている。
それよりも、多くの伊達市の友人達、壮瞥町の友人達に出会えたのは、私の人生の最大の収穫だと思っている。