■潮時かもしれない
何事にも「潮時」というものがある。 今までも潮時と感じて、色々なものを止めて来た。
思い出してみると、あまり良い思い出ではないことが多い。始める時は、いつも嬉しくて張り切っていたのになー。
今回の引っ越しの潮時を前向きに考えれば、「勝どきで新しい生活を始める」ということになるが、一方、「長く住んだ小金井の生活を止める」という後ろ向きのことにもなる。
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止めっぱなしになる時は人生が終る時で、それにも潮時というものがあるのかもしれないが、今はまだ分からない。
隣のSさんの義理の息子がやって来て言った。
『お宅の庭の蕗の薹を採らせて下さい』。
びっくりするような申し出だが、引越すのだからとOKを出した。
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この蕗は40年以上も前に、Sさんのお婆さんが自分の庭に植えたものである。それが長い年月の間に、お隣との境の塀の下を通り抜けて、全部我が家に来てしまったのである。
Sさんの義理の息子はザルいっぱいの蕗の薹を採って戻って行った。
なんか変だと思うが、最後は「立つ鳥、あとを濁さず」で笑顔で見送った。これはSさんの家の物なのだろうか?
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家の南側を走っている中央線が高架になって、騒音が酷くなった。
そうしたら、家の前の空き地が売り出されて、そこに建売住宅が5軒も建設中となった。それで騒音が遮断された。
1ヶ月もすると、幸せいっぱいの5家族が越して来るのだろう。我々が去ると、その後にまた建売住宅が3軒建てられる予定である。
するとまた、幸せいっぱいの3家族が越して来る筈だ。
そんな8軒分の幸せのお裾分けを頂いて、私達は潮時となった小金井を去る。
8年前に会社を売却して引退した時期と、小金井から引越すと決めた時期が今になって思うと、私にとっては人生の潮時だったような気がする。
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(おまけの話)
我が家の近所に住んでいる夫婦に、Oさんという人ががいる。そのご夫婦とは親しくしているが、私達より10歳は年長である。
私達が引越すことを話したら、もの凄く寂しがっている。
夫婦で庭いじりが好きなので、我が家で使っていた庭道具をプレゼントした。
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そうしたら、『小さな植木も欲しい』と言う。
『どうぞ好きな木を持って行って下さい』と言ったのだが、彼等はもう自分では植木を抜いたり植えたり出来ない。
結局は私が家から抜いて運び、先方のお宅の庭に植えてあげた。レンガも欲しいというので、それも運んだ。
シャベルもハサミも肥料も持って行った。メダカも行った。
我が家の庭が少しだけ、Oさんの庭に移って行ったのである。