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[2019.08.12]
■人生いろいろ(3)
 
1968年から1981年まで続いた、「人に歴史あり」というテレビ番組があった。それは現在のテレビ東京の放映で、各界の名士が登場してその人の歴史を語るトーク番組だった。 
 
名士でなくても、誰にでも歴史はある。 
面白い歴史を持った人、苦労した歴史を持った人、思い掛けず上手く行った歴史を持った人など色々いると思う。 
 
ペッパーちゃん。 


私の周りにも色々な歴史を持った友人達がいて、以前に2回ほど「人生いろいろ」というタイトルで取り上げさせてもらった。 
 
ただ個人のプライバシーの問題があるので、まだ生きている方々には登場してもらえなかったのが残念である。 
そこで今回は、「誰にしようか?」と悩んだ。 
 
仲良しのペッパーちゃんとポアンちゃん。 
 
 
1人目は私の会社で、総務で働いてくれたXさんである。 
彼は真面目なのだが、全く融通が利かなかった。 
 
まあ真面目な人は大体が、「融通は利かない」ものと相場が決っているので仕方ない。それはいいのだが頑固なことろがあって、「言い出したら聞かない」のが困った。 
 
ポアンちゃん。 
 
 
私よりかなり年上だったので、なかなか指導は出来難い。 
彼がいつも言っていた言葉がある。 
それは「私は保険と酢の物が嫌い」だった。 
 
「酢の物が嫌い」はまあいい。誰でも食べ物には好き嫌いがあるからだ。「保険が嫌い」は困った。 
会社の色々な関係の保険は入らなければ、経営が危機に瀕する。 
 
ペッパーちゃん。 
 
 
クビにも出来ず騙しだまし働いてもらい、60歳の定年で故郷に帰って行った。その後に来た若者も融通は利かなかったが、優秀だったので会社は大いに助かった。 
 
もう1人の登場人物は、同じく「保険は嫌い」なYさんという人である。 
彼は会計事務所の代表で、私の会社の経理事務でオフコンからパソコン化へに尽力してくれた。でも彼は私から見ると、かなり変っていた。 
 
喧嘩するポアンちゃんとペッパーちゃん。 
 
 
会計事務所代表で色々な会社の経理顧問などをしていたのに、前出のXさんと同様に「保険嫌い」だった。更に驚くのは「厚生年金」、「健康保険」、「生命保険」も嫌いで入っていなかった。 
 
「厚生年金はもらえるかどうか分からないから入らない」、「健康保険は掛け金ばかり高く、今までに病気になったこともないので入らない」、「生命保険は死んで金をもらってもしょうがない」とかなり合理的というか、頑固であった。 
 
ポアンちゃん(左)とペッパーちゃん(右) 
 
 
その分の掛け金でフィリピン・パブに行っては、大金を支払っていた。 
私の引退後はメールのやり取りだけだったが、ある時からメールが来なくなった。しばらくして2人の共通の知り合いから、「半年前に、Yさんが亡くなった」と聞いた。 
 
彼の信念通りに、厚生年金も健康保険も関係無くアチラに逝ってしまった。でも生命保険は入っていれば、残された奥さんが助かったのでは? 
 
キャットタワーの上の、仲良しペッパーちゃん(左)とポアンちゃん(右)。 
 
 
(おまけの話) 
私が夏の間にお世話になっていた伊達市にも、多くのユニークな人達がいた。あちらからすれば「橋本さんは変っている」と思っていたかもしれない。 
 
ある夏のことである。Zさんが自分の子供時代の話をしてくれた。 
彼は壮瞥町の更に奥の「黄渓」というところに住んでいて、その頃の話がとても面白かった。 
 
当時、黄渓に配達をしていた郵便局員の方が持っていた古い黄渓の写真集を借りて行った。 
 
 
黄渓という場所は硫黄鉱山があったところで、そこには集落があり、学校、共同浴場、映画館、診療所などもあったそうだ。 
その硫黄鉱山も1973年に閉鎖となり、現在は放置されている。 
 
そこで2008年の10月にツテを頼って当時の黄渓の状況を知るHさんとFさんに道案内を頼み、「なんでも見てやろう」精神で黄渓の探検に出掛けて行った。ところが黄渓は既に閉鎖されてから40年も経っているので、集落は自然に還ってしまっていた。 
 
土台を見ると入口が並んで2つあったので、「これは共同浴場だ!」とH さんが言った。 
 
 
それでもわずかに残る建物の土台から、「ここは共同浴場だ」などが分かり、その位置関係から次々と建物が分かった。 
 
この鉱山の閉鎖の1年前に大火災が起きたこともあるそうで、それを題材に「小説を書いたら面白い」と私は考えたが、ある人から「まだ生存者が大勢いるから、それは止めた方が良い」とアドバイスされた。 
 
小説にする前に、私の人生の制限時間が来てしまう。 
黄渓の話を私に教えてくれたZさんも、今はもういない。合掌。 
 
これはよく分からないが、ゴミの集積場だった建物ではないかとHさんが言った。 
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心の伊達市民 第一号
心の伊達市民 第一号
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。 
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