■2014/12/08 12:24:58 南三陸町中心部2014初冬の現状。風化させないで下さい。観光で良いので現状を見て下さい。
「防災対策庁舎」

幾度と無くこの建物からテレビ中継や新聞などで目にした方は多いと思います。
先週に仙台に長男甥っ子君の結婚式で出掛けたので無理を言って、弟君の甥っ子君が案内してくれました。
仙台市内から約100キロ北上した太平洋沿いです。
宮城県南三陸町の南三陸町役場前に成ります。
実はこの建物を撮影は最初は躊躇ってました。
お線香をあげてタダ戻ろうとしてました。
横に南三陸町のホテルの職員さんが宿泊者に説明しているのを聞いてましたら、
「写真を撮ってこの現状を伝えて下さい。でも数年たったら後ろの盛り土をしているかさ上げ地で町が復興するかも知れない。この今の姿とその時の姿をしっかりと見て欲しい。」
そうなんですよね。
この庁舎も本当は「かさ上げ対象地」ですのでいずれは取り壊しの予定らしいです。
皆様も幾度となくこの庁舎で最後まで地域の方の安全確保の為に避難指示の放送をされたいた女性職員さんや他の職員さんの事は聞いたり見たりしてますね。
最後は押し迫る津波に自分たちの退路を断たれたのか、屋上の柵や外の非常階段の手すりや屋上の無線アンテナにしがみついてそのまま帰らぬ人になった方が大勢いたあの場所です。
壁は勿論有りません。
画面左側が海に面していて津波が壁や、壁を支えていた鉄柱を左から右に押し流してしまったのが分かります。
屋上には鉄柵が回して有りましたが津波に流されて有りません。
助かった方はアンテナの鉄柱にしがみついて荒れ狂うあの津波に耐えて居たと新聞で見た事が有ります。

本当はこの周囲には役場機能が有り、他の建物が有ったはずです。
この「防災対策庁舎」から数百メートルで高台に相当する場所が有りました。
歩いて7~8分、走って5分で安全な場所が今になって見ると確認出来ました。
迫り来る津波はこの防災対策庁舎から見えて確認出来たハズです。

この漁港までも数百メートルなんです。
防潮堤が有りますがこれを優に越える程の津波。
最後まで地域住民の安全確保の為に尽くした大切な「命」
働き盛りな職員さん、明るい声の最後まで避難指示を伝えていた女性職員さん
あと数時間したら退庁時間で家路につけたであろう家族が待っていた職員さん・・・
町の中心部の一部の建物は震災後に撤去されたりした様ですが、でも現存して津波に耐えた建物は
たぶん吉竹会館のこの建物と病院と数軒だった様です。
想像するにこの建物は宴会や会議が出来そうな会館です。
津波が来る前は賑わう通りだったと思います。
奥にあたるお隣はガソリンスタンドです。
同じ位置から市街地を見ても何も有りません。
かさ上げ予定地になるのでしょうがまだまだ手つかずに見えます。
南三陸鉄道なのかJRなのか線路があったで有ろう鉄橋が残ってました。
この画像の右奥山手が避難所として上空から中継が繰り返された志津川高校が山手に有ります。
此方が防潮堤と漁港です。
よく水面を見るとこの日も海からの潮で川が波打ちます。

この建物を保存する、取り壊すには両論が有る様です。
実は、震災後に東北を訪れる修学旅行が減ったと聞いてます。
親御さんも学校側も安全策として震災地方面は避けているのでしょうね。
でもここで起きた事実を知ると言うのも必要かと思います。
本来、修学旅行とは字の如く学ぶ修める旅行です。
決して夢の国で遊びに翻弄されるものでは無いと思います。
観光のつもりで訪れて、この地でお金を使ってくれるだけでも復興に成ります。
国が何かをしてくれるのは無理だと・・・
この現状を見てつくずく思いました。
間もなく国政選挙です。
国は何をしてくれると思いますか?
この地を訪れてそれぞれが「感じた」ものを刻んでくれたら
それが「修学旅行」であり、「観光」かと思いました。
誰かが作った煌びやかな「リゾート」や「都会」も素敵だと思います。
でも事実として起こった事をこの目で見て、感じてを。
この不思議な位の青い南三陸町の漁港
いつか沢山の人で賑わい
釣り人がほのぼのと休日を過ごす港になる日が来ます事を祈りながら
後にしました。
漁港から車で数分の所に
「南三陸さんさん商店街」が有ります。
仮設の建物が集まってます。
その記事は 後ほど
※一部、表現上適切で無い部分も有るや思います。
お許し下さい。
この地をはじめ東日本大震災に関わりお亡くなりの方のご冥福をお祈りします。
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